日本大百科全書(ニッポニカ) 「プルタルコス」の意味・わかりやすい解説
プルタルコス
ぷるたるこす
Plutarchos
(46ころ―120ころ)
古代ギリシア最大の伝記作家、エッセイスト。日本では英語式の呼び方プルタークでよく知られる。当時ギリシアはローマの属州であり、彼の幼・少年期はネロの治世にあたり、ネロに劣らず悪名の高いドミティアヌスの治世は、彼の30、40代にあたっている。生地は、ローマからみればギリシアの片田舎(かたいなか)のカイロネイア。生涯の大半をここで過ごす。生家はこの地方では有力な家柄であった。10代の終わりにアテナイへ出て、アカデメイア派のアムモニオスについて哲学、自然学を学ぶ。したがってプルタルコスもプラトン学徒といえるが、彼がとくに関心をもったのは弁論術、倫理、宗教で、この方面ではペリパトス派やストア派の影響も受けている。要するに折衷派の常識人といえよう。
しばしば旅に出、ローマへも生涯に何度か行っている。カイロネイア代表として儀礼的に訪問したようだが、この機に何人かのローマ政府要人の知己を得た。ただし、タキトゥスや小プリニウスら当時の代表的知識人とは交渉をもたないのは惜しまれる。またドミティアヌス帝が多くのストア派学者を迫害したとき無事でいられたのは、彼がストア派を自任してはおらず、カイロネイアに引っ込んでいたという理由のほかに、彼自身被征服者の賢明な身の処し方を心得ていたためといえる(以上は彼のエッセイ『為政者への忠告』による。しかし、彼の故郷カイロネイアは、かつて古典ギリシアの滅亡を決定的にした対マケドニアの血戦場であり、このことに全著作を通じて一言も触れていないのは理解に苦しむ)。
彼のおびただしい著作のおもなものはすべて50歳以後の執筆という事実は目をひく。なかでも重要なのは『対比列伝』(通称『英雄伝』)だが、このほかに『倫理論集』の名で一括されている多数(79編現存)のエッセイがある。内容は、プラトン哲学の諸問題を扱ったもの、ストア派を指弾するなどの重い論調から、鶏と卵とどちらが先か、あるいは結婚48訓などの軽妙なものまで、対象は多方面に及んでいる。文章は名文にはほど遠い饒舌調(じょうぜつちょう)だが、話すことを楽しんでいるプルタルコスの気分が読者に伝わってくる。文学史的に注目されるのは、彼のエッセイ集に触発されて、ルネサンス期に2人の思索家がそれぞれ重要なエッセイを書いている事実である。2人とはモンテーニュとベーコンである。
[柳沼重剛]