ミーゼス(読み)みーぜす(英語表記)Ludwig Edler von Mises

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミーゼス」の意味・わかりやすい解説

ミーゼス
みーぜす
Ludwig Edler von Mises
(1881―1973)

オーストリア出身の経済学者。ウィーン大学を卒業して、同大学教授ジュネーブの高等国際研究所教授を経て渡米し、全国経済調査会研究員、ニューヨーク大学客員教授などを歴任した。1947年にアメリカに帰化。その初期の貨幣理論では、オーストリア学派の流れをくみ、貨幣を一般的交換手段としてとらえ、さらにK・ウィクセルなどの影響から、銀行の信用創造による自然利子率と貨幣利子率の背離景気変動をもたらすという貨幣的景気論を展開し、銀行の恣意(しい)的な信用創造を排して貨幣価値を安定するために、金本位制をとるべきことを主張した。思想的には自由主義を信奉し、私有財産制と、価格が合理的な経済計算の基礎になる市場機構とを通じてのみ、経済の合理的な運営が可能になるとし、恣意的な経済統制に基づく社会主義は、そのような価格機構による合理性をもたないために不可能であると論じたことでも知られている。また、内省的な人間行為に基礎を置く市場過程の分析は、新オーストリア学派の先駆的な業績として高く評価されている。おもな著書には、『貨幣および流通手段の理論』Theorie des Geldes und der Umlaufsmittel(1912)、『共同経済――社会主義研究』Die Gemeinwirtschaft : Untersuchungen über den Sozialismus(1922)、『人間行為論』Human Action : A Treatise on Economics(1949)などがある。

志田 明]

『東米雄訳『貨幣及び流通手段の理論』(1980・日本経済評論社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミーゼス」の意味・わかりやすい解説

ミーゼス
Mises, Ludwig Edler von

[生]1881.9.29. レンベルク
[没]1973.10.10. ニューヨーク
オーストリア生れのアメリカの経済学者。新オーストリア学派の先駆者とされる。ウィーン大学卒業後,母校の教授をつとめるかたわら,1909~34年ウィーン商工会議所経済顧問。 34~40年ジュネーブの高等国際研究総合研究所教授,40年アメリカへ渡り,45年ニューヨーク大学客員教授,46年アメリカに帰化。ニューヨーク大学ではゼミナールを主宰し,アメリカにおけるネオ・オーストリアンの育成に大きく貢献した。モンペルラン・ソサエティーの有力会員の一人。貨幣の基本的役割を交換手段としてとらえるとともに,歴史的には金の素材としての交換価値が受継がれてきたものと考え,限界効用学説の立場から独自の貨幣論を展開。また銀行の恣意的な信用創造景気循環の原因と考え,景気循環をなくすために金本位制の採用を強く主張した。徹底した自由主義者で,自由な市場経済のメカニズムを欠くとして社会主義経済に強く反対した。主著『貨幣及び流通手段の理論』 Theorie des Geldes und der Umlaufsmittel (1912) は,当時の学会の中心テーマである貨幣的経済理論をオーストリア学派の観点から展開したもの。他に『共同経済』 Die Gemeinwirtschaft: Untersuchungen über den Sozialismus (22) ,『人間行為論』 Human Action: a Treatise on Economics (49) など著書多数。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報