ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新カント派」の意味・わかりやすい解説 新カント派しんカントはNeo-Kantianism 19世紀中期,O.リープマンの「カントにかえれ」 (『カントとそのエピゴーネン』〈1865〉) をはじめ,E.ツェラー,F.ランゲ,K.フィッシャーらによる同様の主張をきっかけとして,1870年代から 1920年にかけて,主としてドイツを中心に起ったカントの批判哲学再興の運動で,その批判精神の再興の仕方によって,いくつかの傾向に区分される。前期の学派としては,生理学的,心理学的傾向 (H.ヘルムホルツ,ランゲ) と批判的実在論の傾向 (A.リール) があげられる。後期は,マールブルク学派とバーデン学派 (西南ドイツ学派) に代表される。前者は H.コーエン,P.ナトルプ,E.カッシーラーらが中心人物であり,後者の代表者は W.ウィンデルバント,H.リッケルト,E.ラスクらである。そのほか,J.フリースの『新純粋理性批判』 (1807) のあとをうけ,ゲッティンゲン大学の L.ネルソンらによる新フリース学派のカントの心理学的解釈,G.ジンメルによる相対主義的,社会学的解釈などがあげられるほか,フランスでは C.ルヌービエ,O.アムランらにその影響がみられる。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
旺文社世界史事典 三訂版 「新カント派」の解説 新カント派しんカントはNeukantianer 19世紀後半のドイツにおこった新理想主義哲学の一派カントの批判哲学に復帰して近代科学を反省し,認識論を基底とする学問的哲学の形で,科学・道徳・芸術を包括する新生活理想をうち出そうとした。自然科学を重視するコーエンらのマールブルク派を主流とし,価値哲学・文化哲学を重視するウィンデルバント・リッケルトらの西南ドイツ学派を含んでいる。第一次世界大戦後,衰退した。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 Sponserd by