日本大百科全書(ニッポニカ) 「新カント学派」の意味・わかりやすい解説
新カント学派
しんかんとがくは
Neukantianer ドイツ語
ドイツ哲学の一流派。カント哲学を復興することによって、19世紀前半以降の実証科学の発展に伴う実証主義や唯物論の台頭の前に混迷の度合いを深めていた哲学的思考に新しい道を切り開くことを試みた。19世紀なかば過ぎ、リープマン、ランゲらの「カントにかえれ!」というモットーとともに明確な形をとって現れた。とくに19世紀の終わりから20世紀初めの第一次世界大戦前の時期にかけては、ドイツを中心とするヨーロッパ諸国からわが国に至るまで、広く深い影響を与える思想運動となった。
新カント学派は、一般に、カントの哲学から「超越論的(先験的)方法」を受け継ぎ、そこに基本的立場を置く。すなわち、認識あるいは広くいって人間の文化活動一般の対象や主体を、直接に考察の対象とするのではなく、それらのいずれからも身を引き離したところに視点を設定して、それらの活動の成立する場を対象化する。こうして、それらの構造を客観的に考察し、定着するという姿勢をとるのである。この行き方がとられたのは、この学派の共通のねらいが、一方で、実証主義、唯物論の素朴な客観主義に引きずられることなく、他方でまた、その対極としての神秘的な思弁哲学の主観的恣意(しい)へと流されることもなく、哲学を確固とした学として成立させる領域を開くことにあったからである。
この結果、この学派の哲学は一般に、(1)自然科学をはじめとする人間の認識を対象とする認識批判の形をとり、(2)さらに、超越論的視点からする人間の主観による対象のなんらかの意味での能動的構成に注目する行き方を究極の立場として共有することになった。したがって、コーヘン、ナトルプ、カッシーラーを代表者とするマールブルク学派が、どちらかといえば前述の(1)の契機を表面に出し、ウィンデルバント、リッケルト、さらにマックス・ウェーバーをも含む西南ドイツ学派では、価値哲学による人文・社会科学の基礎づけという形で(2)の契機が目だってみられる。この相違は、大局的にみれば強調点の違いにすぎないともいえよう。
第一次世界大戦を境に、それ以前には大きな影響力をもっていた新カント学派の哲学は、急速にその勢いを失う。これは、この大戦とその後の歴史の現実が、人間の主観性と対象構成に依拠する行き方の限界を、おのずから明らかならしめたためと考えられる。
なお、わが国では、明治末年から大正時代にかけて、桑木厳翼(くわきげんよく)、朝永三十郎(ともながさんじゅうろう)、左右田喜一郎(そうだきいちろう)らによってこの学派、とりわけ西南ドイツ学派の哲学が本格的に移入され、時代の文化主義的風潮とも呼応しながら、一時期アカデミー哲学の主流を形成した。同学派の西洋哲学史観などは、今日までなおその大きな影響をとどめている。
[坂部 恵]