大学事典 の解説
ランドグラント・カレッジ
1862年のモリル法によりアメリカ連邦政府から交付された土地賦与大学ないし証券を売却した基金で,諸州が設立・維持した生産者諸階級=国民向けの大学群(国有地付与大学(アメリカ))。文理に加え,おもに農工の諸分野を研究,教授した。既存および新設の州立大学が多い中で,私学のイェール大学やブラウン大学も19世紀末まで,MIT(マサチューセッツ工科大学)やコーネル大学は現在もランドグラント・カレッジである。1890年の第2モリル法下での認定校を含めた全68大学のうち,17校は南部諸州がアフリカ系アメリカ人専用に開設した。現在,研究開発費の総額で順位づけると最上位校の3分の1,また在学生数で最大規模校の半数がランドグラント・カレッジである。
[モリル法とランドグラント・カレッジ]
連邦政府は以前にも教育目的で個別に土地を下付したが,モリル法(アメリカ)によるものは一律かつ大規模で,南北戦争という国家分裂の最大の危機のただ中で実施された。MITの設立認可条件が10万ドルの寄託金の確保であった当時,たとえば99万エーカーを取得したニューヨーク州は,優に100万ドル以上の基金を期待できたのである。19世紀前半の西進運動では,新設タウンの土地高騰を目論み,数百校もの実体のない「ブースター(景気付け)・カレッジ」(D. ブアスティン)の設立・消滅が繰り返された。その結果,欧州諸国との経済競争に敗北しないためにも,応用分野の教育研究を安定して遂行する大学が必要との認識が高まった。1850年代から60年代は,同時に,奴隷制の存廃をめぐる国家分裂の危機が現実化した。こうした状況の中で連邦政府は,教育への不介入の原則をあえて破り,国家統一の象徴としての「連邦(補助)大学(アメリカ)」大学の設立・維持のため,歴史上一度だけ行動した。国民の大多数の生産者階級向けランドグラント・カレッジは,州立であれ私立であれ,ワシントン大統領以来の国家分裂への危惧を払拭する,「連邦国家」保全の大学であることも重要だったのである。
モリル法の具体的な運用は諸州に一任され,実際,カリフォルニアなどは,当初,既存のカレッジを名称変更したにとどまった。加えて,初期のランドグラント・カレッジは,農工分野,とくに農学専攻の学生不足に悩まされた。学生数の多さでは定評のあったイェールでさえ,最初の24年間で農学の卒業生は6名のみであった。にもかかわらず,ランドグラント・カレッジは革新的な思想を内包していた。モリル法で設立された大学は,しばしばA&M(Agriculture and Mechanic Arts)と略称されてきたが,しかし農工の訓練自体は南北戦争以前から広く導入されていた。一方,当時のカレッジ教育の不動の前提は,神・法・医の旧専門職との連結であった。ランドグラント・カレッジの新しさは,農工にふさわしい生産者階級向けの教養教育を構築した上で,既存の大学の根本的な再編成を図った点にあった。その青写真を早くから提出していたイリノイ州の前大学教師で農民のジョナサン・ボールドウィン・ターナー,J.B.(1805-99)の影響の下,初期のイリノイ大学(アメリカ)は文理を含むあらゆる専門の学生に科学と工学とを基礎科目として課したのである。
さらにターナーの構想では,ランドグラント・カレッジは,首都ワシントンのスミソニアン研究所をセンターとして,各州の地方の末端との中間を占める教育研究機関として,全国規模の組織の一環に位置づけられていた。実際,モリル法に基づく各カレッジは,その教育・研究上の成果を年次報告に記載し,すべての他のランドグラント・カレッジと交換し合うネットワークの一員として規定されたのである。
[ランドグラント・カレッジの評価]
ランドグラント・カレッジは,長期的には農工分野の普及に大きな役割を果たした。1840年代,同じように科学校を開設して応用科学にも取り組んだハーヴァードとイェールを比べると,前者のローレンス科学校の工学卒業生が1862年から92年まで,毎10年ごとに0から2名と低迷したのに対し,ランドグラント校のイェールのシェフィールド科学校は4名,10名,15名,28名と順調に卒業生を増やした。イリノイ,アイオワ,ウィスコンシンの農工学専攻の学生総数も1870年の243名,85年の637名,96年の1584名,1905年の3213名と,この間の大学生一般の場合の3倍強の増加率を記録したのである。質的な成果に関しては,カリフォルニア大学バークレー校が今日,世界の最上位校の一つにランクされている一事を指摘すれば足りるであろうが,数字をあげれば,2005年のカーネギー分類で研究活動が最高度と判定された96大学のうち32校をランドグラント・カレッジが占めている。
合衆国において絶対数としては少ないランドグラント・カレッジは,一つの大学群としてこれまで頻繁に論じられてきた。その理由の一つは同カレッジが,生産者階級の実践する応用科学こそ,純粋科学以上に「科学的」である(John Dewey, Experience and Nature)とするアメリカ的思想を体現しているからであろう。しかし,もう一つの隠れた理由は,ランドグラント・カレッジが(例外を除き)州立大学である(しかない)にもかかわらず,その起源において,大多数の生産者階級=国民を統合する「連邦(≒ナショナルな)」大学としての希望と役割を託されたことにある。たとえ南北戦争ほどの危機ではないにせよ,今後も合衆国に何らかの分裂の兆しが現れるたびに,その役割は新たに想起され論じられ続けて行くであろう。
著者: 立川明
参考文献: Geiger, Roger L. and Nathan M. Sorber, eds., The Land-Grant Colleges and the Reshaping of American Higher Education, Transaction Publishers, 2013.
参考文献: Anderson, G. Lester, ed., Land-Grant Universities and their Continuing Challenges, Michigan State University Press, 1976.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報