リー・シェン・ロン(読み)りーしぇんろん(その他表記)Lee Hsien-loong

日本大百科全書(ニッポニカ) 「リー・シェン・ロン」の意味・わかりやすい解説

リー・シェン・ロン
りーしぇんろん
Lee Hsien-loong
(1952― )

シンガポールの政治家。同国で絶大な影響力をもつ独立の父、リー・クアン・ユー初代首相の長男。李顕龍とも表記する。幼少時から父の遊説に同行し帝王学を学ぶ。イギリスに留学し、ケンブリッジ大学数学専攻、卒業後の1971年シンガポール国軍入隊。1980年アメリカ・ハーバード大学行政学修士を修了。1984年准将退役。同年12月国会議員に初当選して政界入りし、貿易産業相や第2国防相を務める。

 1990年11月、2代目の首相となったゴー・チョクトンを支える副首相となる。1998年通貨監督庁議長兼任、2001年財務相を兼任し、アジア通貨危機後の金融再編や経済改革に取り組む。2004年8月12日、財務相兼任で第3代首相に就任。その直前に台湾を訪問し、陳水扁(ちんすいへん)総統と会談したことに中国が強く反発し、両国関係が一時冷え込んだが、就任直後の所信表明演説で「一つの中国」政策の堅持を表明して、関係改善に努めた。2007年12月財務相の兼任を解消。2代目首相のゴーが閣内ナンバー2、初代首相の父クアン・ユーが閣内ナンバー3に名を連ねており、事実上、三頭指導体制の内閣になっている。最初の妻とは結婚4年後に死別。1985年にホー・チン夫人と再婚子供は3男1女。1992年癌(がん)治療を受けた。

[野口賢志]

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現代外国人名録2016 「リー・シェン・ロン」の解説

リー・シェンロン
李 顕龍
Lee Hsien Loong

職業・肩書
政治家 シンガポール首相

国籍
シンガポール

生年月日
1952年2月10日

学歴
ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ(コンピューター科学)〔1974年〕卒,ハーバード大学行政大学院〔1980年〕修士課程修了

経歴
リー・クアンユー初代首相の長男。1971年シンガポール軍に入り29歳で大佐。軍からハーバード大学に留学。帰国後、最年少で陸軍参謀総長。’84年に准将で退役。同年末の総選挙で国会議員に当選。’85〜86年通産・国防担当国務相(閣外相)。’86年人民行動党(PAP)中央委員に選出。’86年1月〜’92年12月通産相。’90年11月〜2004年副首相。1993〜95年財政相・国防相兼任。’98年1月通貨庁(MAS)会長を兼任し、保守的だった金融行政の大転換に成功。2001年11月財務相を兼任。2004年8月首相に就任、財務相兼任。2006年5月総選挙で大勝し、首相2期目。英語、中国語、マレー語に堪能。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リー・シェン・ロン」の意味・わかりやすい解説

リー・シェンロン
Lee Hsien Loong

[生]1952.2.10. シンガポール
シンガポールの政治家。首相(在任 2004~ )。中国語名は李顯龍。初代首相リー・クアンユーの息子として生まれた。イギリスのケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで数学を専攻し,1974年に首席で卒業,1980年アメリカ合衆国のハーバード大学ケネディスクールで行政学修士号を取得。国軍に入隊し,1984年准将の地位で退役,父が創設した与党の人民行動党に入党し,政治家の道を歩み始めた。同 1984年国会議員に初当選すると貿易産業担当国務大臣兼国防担当国務大臣に任命された。1987年貿易産業大臣兼第二国防大臣に就任。1990年に父の後継者ゴー・チョクトンが首相の座につくと,副首相に指名された。1990年代初めにリンパ腫を発病したが,症状が安定すると精力的に政治活動を再開,1998~2004年通貨監督庁議長を兼任,2001年に財務大臣に就任する。2004年ゴーの辞任をうけ首相に就任し,2007年まで財務大臣を兼務した。首相職の委譲は計画的なもので,選挙なく実施された。父のリー・クアンユーは新設職である内閣顧問に就任,ゴーは上級大臣として閣内にとどまった。

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