日本大百科全書(ニッポニカ) 「タッソ」の意味・わかりやすい解説
タッソ
たっそ
Torquato Tasso
(1544―1595)
イタリア・バロック期最大の詩人。3月11日ソレントに生まれる。叙事詩『アマディージ』などで世に知られた父ベルナルドに伴って、幼少時からイタリア各地の宮廷を歴訪。15歳のとき早くもベネチアで『解放されたエルサレム』の草案に着手。父親の意志により16歳からパドバで法律を学び始めるが、他方ではさまざまな文学者との交流や古今の文学作品の読破を通じて文学的熟成を遂げてゆき、数多くの恋愛詩および騎士物語詩『リナルド』(1562)を執筆。1565年、法律の勉強を捨ててフェッラーラに移り、エステ家の当主アルフォンソ2世の実弟ルイージ枢機卿(すうききょう)に仕える身となる。かつてルネサンス文化の中心的役割を担いながら栄華を極めたエステ家の宮廷は、いまや凋落(ちょうらく)の運命をたどりつつあったが、なおそこには学者や芸術家が数多く集っており、その環境のなかでタッソは、『詩学および英雄叙事詩に関する論考』(晩年の推敲(すいこう)を経て大著『英雄叙事詩論』となる)の執筆、叙情詩集の刊行、アカデミアでの発表活動などを行い、さまざまな貴婦人との恋愛を経験した。
1572年からアルフォンソ2世直属の廷臣となり、翌73年春に牧歌劇『アミンタ』を執筆。同年夏にエステ家の別荘で初演されたこの作品によって、16世紀後半に形成されつつあった新しい文学ジャンル「牧歌劇」はその形態を確立した。75年4月、長年にわたり構想と推敲を重ねた壮大な英雄叙事詩『解放されたエルサレム』を完成。だが、この代表作を書き上げたころから錯乱の兆しが現れ、極度の緊張と疲労のなかでさらに加筆修正を繰り返し、人々の批評を執拗(しつよう)に求めながら絶望し続ける日夜を送ったすえに、自ら異端審問所へ出頭。作品は審問を無事に通過するが、詩人の病的な不安はさらに募るばかりであった。
1577年初夏のある夜、突如として従僕に短剣を投げ付けて、アルフォンソ2世の命により修道院に隔離される。が、脱走に成功した詩人は、以後2年間にわたってイタリア各地を放浪。79年、フェッラーラに戻り、激高のあまりアルフォンソ2世を罵倒(ばとう)して、今度は地下牢(ろう)に幽閉される。7年間の過酷な監禁生活ののちにようやく釈放されてマントバに落ち着き、悲劇『トッリズモンド王』(1586)を完成させるが、翌87年にはふたたび長い放浪の旅に出る。その日々のなかで叙事詩『征服されたエルサレム』(1592)および『天地創造』(1594)を完成。95年、流浪の果てに病に倒れ、4月25日、ローマの修道院の一室で永眠した。
[鷲平京子]