レッジョ・ディ・カラブリア(読み)れっじょでぃからぶりあ(英語表記)Reggio di Calabria

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

レッジョ・ディ・カラブリア
れっじょでぃからぶりあ
Reggio di Calabria

イタリア南部、カラブリア州レッジョ・ディ・カラブリア県の県都。1971年までカラブリア州の州都。イタリア半島南端部、メッシーナ海峡の東岸に位置する港湾都市。人口17万9384(2001国勢調査速報値)。14キロメートル北寄りの町ビッラ・サン・ジョバンニとともにシチリア島への連絡港となっており、対岸のメッシーナとはフェリーで結ばれる。紀元前8世紀にギリシアエウボイア島のカルキス人によって建設され、マグナ・グラエキア(「大ギリシア」の意。南イタリアのギリシア植民市群)の中心地として繁栄した。ギリシア名レギオンRhegion、ラテン名レギウムRegium。その後中世においても南イタリアの重要都市として栄える。1908年の地震で町は完全に破壊されたため、再建後の市街地は碁盤目状に整備され、近代的な様相を呈している。柑橘(かんきつ)類やオリーブなどの農産物の生産と取引が盛んである。1970~71年には州政庁のカタンザーロへの移転に反対して暴動が起きた。

[堺 憲一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

レッジョディカラブリア
Reggio di Calabria

イタリア南部,カラブリア州レッジョディカラブリア県の県都。本土南西端部にあり,対岸のシチリア島とはメッシナ海峡でへだてられ,シチリアに行くフェリーの基地。前8世紀に建設されたギリシア植民都市でレギオンと呼ばれ,前 270年にローマに占領された (→レギウム ) 。 1783,1894,1908年とたびたび大地震により被害を受け,特に 08年には約4万人が死亡ベルガモットジャスミン原料とする香水,薬が製造されるほか,近年では機械,化学繊維工業が行われる。古い町の姿はほとんど残っていないが,ローマ時代の劇場,浴場城壁などがわずかに残り,多くの古代遺物を収蔵する国立博物館がある。人口 18万6547(2011推計)。

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