改訂新版 世界大百科事典 「レッジョディカラブリア」の意味・わかりやすい解説
レッジョ・ディ・カラブリア
Reggio di Calabria
イタリア南部,カラブリア州同名県の県都。人口18万4369(2005)。長靴形のイタリア半島のつま先にあり,メッシナ海峡に臨み,本土とシチリア島とを結ぶフェリーの発着点である。紀元前8世紀ごろ古代ギリシアの植民地として建設され,レギオンRhēgionと呼ばれた。一時,シチリアのシラクサの攻撃に屈した。前270年,ローマの支配下に入り,帝政期を通じて南イタリアで最も重要な都市の一つであった。ローマ帝国滅亡後は,ビザンティン帝国の下で経済的にも文化的にも繁栄し,この地方における東方正教会の中心となった。10世紀ごろからイスラム教徒の攻撃を受け始め,11世紀にノルマンのロベール・ギスカールが征服,その後,アラゴン家,アンジュー家と支配が移り,1443年にナポリ王国に統合された。1783年および1908年に致命的な大地震に襲われ,そのたびに再建された。現在は,交通上重要な機能を担っているほか,この地方に産するかんきつ類,ブドウ酒,アスプロモンテ山地の木材などの集産地である。しかし,イタリア南部の多くの都市同様,工業化が遅れており,農産物加工業以外にみるべき製造業がなく,第3次産業での雇用の増大が著しい。県内のいくつかの地点で進められている重化学工業の立地政策も実効に乏しいため,この都市への人口集中は著しく,社会的緊張を生む原因となっている。70-71年に,カタンツァロへの州都の移転を契機に爆発した暴動は,大きな政治・社会問題となった。
執筆者:萩原 愛一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報