ビゼー(読み)びぜー(英語表記)Georges Bizet

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビゼー」の意味・わかりやすい解説

ビゼー
びぜー
Georges Bizet
(1838―1875)

フランスの作曲家。パリ生まれ。両親とも音楽家で、早くから音楽に親しむ。9歳でパリ音楽院に入学、約10年間在籍し、アレビ、グノーらに師事、多部門で一等賞を受けた。在学中に作曲した交響曲ハ長調(1855)には、溌剌(はつらつ)とした表情、印象深い旋律など、後の彼の作品の性格が表れている。1857年にカンタータ『クロビスとクロチルド』を作曲してフランス作曲家の登竜門である「ローマ大賞」を受け、19歳でローマへ留学したが、母の病のため60年にパリに戻る。在学中からオペラなどの劇場音楽の作曲を試み、留学中はイタリア語の台本によるドニゼッティ風のオペラ・ブッファを作曲した。最初の傑作『真珠とり』(1863)は、異国的な旋律、管弦楽による表現の色彩感、優美さなどを備えながらも、当時はあまり評判にならなかった。

 これに続いて10曲余りのオペラ、オペレッタが計画されたが、大半が未完ないし破棄され、残された4曲中今日かろうじて上演の機会があるのは『美しいパースの娘』(スコットの小説による。1867初演)だけである。1871年、四手用ピアノ曲『子供の遊び』と同曲の抜粋の管弦楽版、72年にドーデ戯曲アルルの女』の付随音楽(27曲)と、そのうち4曲を演奏会用に編曲した組曲『アルルの女』(第一組曲とよばれているもの)がそれぞれ成功を収めた。これに力を得たビゼーは、オペラ・コミック座から委嘱された『カルメン』の作曲に力を注ぎ、4幕のオペラ・コミックとして74年に完成した。しかし翌年3月同劇場で行われた初演は、内容が社会的には下層の人々を扱っていたこと、従来のオペラ・コミックとは異質の表現力と生気にあふれた音楽であったことなどが原因で、聴衆の理解をただちに得ることはできず失敗に終わり、ビゼーはその3か月後に失意のうちに他界した。同年10月『カルメン』はギローによりグランド・オペラのスタイルに改作され、ウィーンで大成功を収めた。これを機会に『カルメン』とビゼーに対する評価は変わり、フランス音楽史上もっとも天賦のドラマチックな精神と音楽性をもった作曲家とみなされるようになった。

[美山良夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビゼー」の意味・わかりやすい解説

ビゼー
Bizet, Georges

[生]1838.10.25. パリ
[没]1875.6.3. パリ近郊ブージバル
フランスの作曲家。 1848年からパリ音楽院に学び,グノーらに師事。 57年ローマ大賞を得てローマに留学。帰国後,音楽教師などをしながら,オペラ『真珠採り』 (1863) を作曲。これは不成功に終り,健康を害したりしたが,72年の『アルルの女』の付随音楽 27曲の成功以来,次第に名声を得た。オペラ『カルメン』 (75) によってフランス国民オペラを確立したが,初演後まもなく没した。ほかに『ハ長調交響曲』 (55) や4手用ピアノ曲『子供の遊び』 (75) など。ピアノ演奏にもすぐれていた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android