日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワシントン海軍軍縮会議」の意味・わかりやすい解説
ワシントン海軍軍縮会議
わしんとんかいぐんぐんしゅくかいぎ
1921年11月、海軍軍備制限と太平洋・極東問題に関してワシントンで開催された国際会議。第一次世界大戦後、アメリカは主要海軍国の建艦競争の兆候を懸念して軍縮会議に関心を示し、他方、イギリスも戦後情勢を踏まえて太平洋・極東での利害調整の必要を感じていた。アメリカは、米英両国の関心が密接に関連していることを認め、招請国を当初の主要海軍国5か国から、太平洋・極東に属領などをもつベルギー、オランダ、ポルトガルを加えた8か国に増やしてこの会議を開催した。並行して開かれたいくつかの会議を総称してワシントン会議とよぶが、そのうち、海軍軍備制限会議には、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五大海軍国が参加した。会議冒頭、アメリカ国務長官C・E・ヒューズが、海軍軍備制限の一般原則とともに、放棄、廃棄すべき建造中ないし老齢の主力艦の第1表、以後10年保有すべき主力艦の第2表、10年後艦齢20年を超える主力艦の代艦建造を可としてその最大代艦合計トン数を示す第3表を提示し、これが会議の基調を形成した。第3表によると、アメリカ、イギリス、日本の主力艦トン数比は、それぞれ5、5、3であったが、日本は対米7割を主張して反対した。しかし、完成間近だった戦艦「陸奥(むつ)」の保有と太平洋のアメリカ海軍基地の現状維持を条件として、最終的には対米6割の比率で妥協した。フランス、イタリアは各1.67の比率を受け入れた。また、航空母艦の保有トン数については、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアがそれぞれ5、5、3、2.2、2.2の比率とすることで合意した。しかし潜水艦の量的規制には失敗し、そのため他の補助艦艇制限も合意に至らなかった。この結果、22年2月6日、5か国は、主力艦、航空母艦の各国保有トン数などを取り決めたワシントン海軍軍備制限条約に調印した。
[前田 寿・納家政嗣]