改訂新版 世界大百科事典 「ワーナーブラザース会社」の意味・わかりやすい解説
ワーナー・ブラザース[会社]
Warner Brothers Pictures, Inc.
アメリカの映画会社。ポーランド系ユダヤ人移民のワーナー4兄弟,すなわち,ハリーHarry Warner,アルバートAlbert W.,サミュエルSamuel W.,ジャックJack L.W.が,ニューヨークで〈ワーナー・フィーチャー・フィルムズ〉を設立(1917)して,配給業から独立製作者に転じたのが総合映画企業としてのそもそもの始まりで,1918年にはハリウッド郊外のバーバンクに撮影所をつくった。そして,社長ハリーと経理担当のアルバートがニューヨークで本社業務を担当し,サミュエルが技術面を,撮影所長ジャックが製作面を担当,23年に社名を変更して,この名(ワーナー・ブラザース・ピクチャーズ・インコーポレーテッド)が生まれた。25年にはバイタグラフ社を合併したが,小規模な三流会社として経済的危機を迎えて破産に瀕し,危機打開の最後の手段として製作したパート・トーキーの試作《ドン・ファン》(1926),そしてそれにつづく本格的なトーキー第1作《ジャズ・シンガー》(1927。アル・ジョルスン主演)の成功によって,29年には逆に,純益1700万ドルというハリウッドの記録をつくった。さらにファースト・ナショナル社を合併し,また多くの劇場を手に入れて名実ともに一流会社となり,パラマウント,20世紀フォックス,MGM,RKOとならぶ,ハリウッドの〈ビッグ・ファイブ〉の一つとなった。
本格的なトーキー時代の到来とともに,《犯罪王リコ》(1930),《民衆の敵》(1931),《暗黒街の顔役》(1930年に製作されたが,検閲上の問題で公開は32年になった)などでギャング映画流行のきっかけをつくり,また,《ゴールド・ディガース》(1935),《四十二番街》(1933),《フットライト・パレード》(1933)などのバスビー・バークリー振付によるミュージカル,《仮面の米国》(1932),《餓ゆるアメリカ》(1933),《ナチ・スパイの告白》(1939)などの社会問題をあつかったもの,さらには,《科学者の道》(1936),《ゾラの生涯》(1937),《偉人エーリッヒ博士》(1940)などの伝記映画等々をつくって気を吐いた。
ワーナー・ブラザースは〈倹約〉と〈規律〉で着実に業績を上げてきたが,50年代の初めに,シネマスコープに対抗する〈ワーナー・スーパースコープ〉の開発に失敗してから不振に陥り,50年代後半はもっぱらテレビ映画の製作に力を注いだ。劇場用作品は独立プロデューサーと提携して,のち《マイ・フェア・レディ》(1964),《グレート・レース》(1965),《バージニア・ウルフなんかこわくない》(1966),《キャメロット》《俺たちに明日はない》(ともに1967)など,〈危険に賭けた〉意欲作を製作したが,67年にはテレビ会社セブン・アーツ社と合併,69年には複合企業キーニー・ナショナル・サービスに吸収された。そして〈ワーナー・コミュニケーションズ〉と改名した撮影所は,72年からコロムビア映画と共用することとなった。その後の作品には,《エクソシスト》(1973),20世紀フォックスと共同製作の《タワーリングインフェルノ》(1974),《大統領の陰謀》《スター誕生》(ともに1976),《スーパーマン》(1978)などのヒット作がある。
1989年タイム社と合併,タイム・ワーナー社となり,さらに2000年に同社はアメリカ・オンライン(AOL)と合併,AOLタイム・ワーナー社という巨大メディア企業となった。03年社名をタイム・ワーナーと改称。
執筆者:柏倉 昌美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報