アジア通貨危機(読み)アジアつうかきき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アジア通貨危機
アジアつうかきき

1997年7月のタイ通貨バーツの暴落を皮切りに,フィリピン,インドネシア,大韓民国 (韓国) などアジア各国をまたたく間に襲った一連の通貨経済危機をいう。これらアジアのエマージング・マーケット (新興国市場) は 1980年代から急成長を遂げていたものの,先進国からの直接投資と輸出産業に過度に依存していたため,経済構造は脆弱だった。 1995年以降は円安の一方,これら新興国通貨への過大評価もあって,各国の輸出競争力は大幅に低下し,国外への資本逃避が急速に進んだ。これが通貨や株式市場の暴落につながり,景気は急激に落ち込んだ。アジア通貨危機は 1998年にはロシアや中南米諸国にも波及。同 1998年8月のロシア通貨ルーブルの切り下げにより,ロシアに多額を投資していたアメリカの大手ヘッジファンド「ロング・ターム・キャピタル・マネジメント LTCM」が破綻するなど,余波は先進国経済にも広がった。アジア各国は通貨危機の反省から,各国が協力して通貨・金融市場の安定を目指す「アジア通貨基金 AMF」の設立を構想。またアジアやヨーロッパでは,短期的な資本移動 (外為取引) に一律に小口課税するトービン税構想も注目を集めた。

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知恵蔵の解説

アジア通貨危機

1997年7月のタイ・バーツ変動相場制移行に端を発し、インドネシア、韓国など東アジア諸国に波及した通貨危機。80年代後半以降、東アジア諸国は高い経済成長率を実現し、これに伴い海外から短期資本が大量に流入した。タイ・バーツは、実質的な対米ドル固定相場制を採用していたため、数度にわたり通貨投機の標的となったが、変動相場制への移行による事実上の通貨切り下げを行った。この影響が周辺諸国に瞬く間に伝播し、多くの東アジア諸国の通貨が大幅に減価した。外資の大量かつ急激な流出や為替下落による自国通貨で見た対外債務の急激な増加、金融システムの混乱による急激な信用収縮と不良債権の増加などが発生し、深刻な景気後退をもたらした。危機対応を契機に、改めて、最適な通貨制度の採用、国内金融制度の整備・充実、それらと整合的なマクロ経済政策必要性が認識されることとなった。この点、IMFが当初、緊縮的な諸施策を導入したことで危機を深刻化させた面も指摘されている。短期間に危機がアジア各国に波及し深刻な影響を与えたことから、IMFを補完する地域金融協力体制の必要性も認識された。

(絹川直良 国際通貨研究所経済調査部長 / 2007年)

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

アジア通貨危機

97年にタイ通貨バーツが急落して変動相場制移行に追い込まれたのを発端に、インドネシアや韓国なども通貨が大幅に下落した。アジア各国で銀行や民間企業の破綻が相次ぎ、深刻な景気後退に見舞われた。タイ、インドネシア、韓国は、国際通貨基金(IMF)の支援を受けた。バーツ急落は、海外から流入した短期ドル資金による過剰な国内投資でバブルが生まれた一方、経常赤字の拡大でドル資金が流出に転じたためとされる。

(2008-11-04 朝日新聞 朝刊 3総合)

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百科事典マイペディアの解説

アジア通貨危機【アジアつうかきき】

1997年にタイから始まり,アジア各国に広がった急激な通貨下落とそれによって起こった金融危機・経済危機をさす。なかでもタイ,インドネシア,韓国はきわめて大きな打撃を受けた。通貨危機の直接の要因は,ドルとの固定関係にある通貨が過大評価されていて経済状況とのギャップがあることに国際的なヘッジファンドが注目,大規模な空売りを仕掛けて安くなったところで買い戻すという操作で巨額の利益を出す動きを始め,アジア各国はたちまち外貨準備を失い,金融危機と景気後退の直撃を受けることになった。1997年末韓国はデフォルト寸前に追い込まれ,IMFの介入による経済立て直しを選択するなど,1970年代に始まるアジア経済の高度成長は止まり,各国とも数年間の深刻な不況と停滞を余儀なくされた。アジア通貨危機以降の経済立て直しの過程で,各国ともグローバリズムの急速な進展を受け入れることとなった。
→関連項目通貨危機

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外国為替用語集の解説

アジア通貨危機

1997年7月2日、タイ中央銀行が管理フロート制(変動相場制)を導入しタイ・バーツが暴落。これに端を発し、「アジアの奇跡」と言われた東アジアの国々から一斉に国際資金が流出。時間差をもって香港、韓国、インドネシア、マレーシアにも通貨危機が波及、世界経済に深刻な影響を及ぼした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アジア通貨危機
あじあつうかきき
Asian financial crisis

1997年のタイ通貨バーツの暴落を引き金に、アジア諸国に連鎖的に波及した経済危機。東アジア・東南アジア各国の資本が一斉にアメリカドルへ逃避し、各国は通貨暴落、対外債務の返済不能、金融システム危機、巨額の不良債権発生、深刻な景気後退に見舞われた。日本を含むアジアだけでなく欧米の主要株価は急落し、アジア各国経済はマイナス成長に陥り、インドネシアのスハルト政権やタイのチャワリット政権は失脚した。国際通貨基金(IMF)がタイ、インドネシア、韓国の支援に乗り出し「IMF管理」ということばを生んだ。ただ、高金利政策や緊縮財政を求めるIMF支援には限界があり、アメリカドルを域内で相互融通する通貨交換協定などアジア独自の金融安定化の枠組みを創設する契機となった。
 1990年代、アジア諸国は外国資本導入をてこにした輸出産業伸張で「アジアの奇跡」とよばれる高成長を遂げていた。しかし実態は資本市場の自由化を進めながら多くの国でドル相場に連動(ペッグ)した固定相場制をとっており、アジア通貨は実体より割高に放置されていた。加えて慢性的な経常赤字、短期対外債務への依存構造、巨額の不良債権といった問題を抱えていた。この状況で1997年5月、欧米ヘッジファンドがタイ・バーツを投機的に売り浴びせ、これを直接的契機としてアジア通貨危機が始まった。タイ政府は通貨防衛に全力をあげたが同年7月、変動相場制への移行を余儀なくされた。その後、インドネシア、マレーシア、韓国通貨なども投機的売りを受けて暴落。インドネシアでは急激なインフレが起きて東ティモールなどでの反政府運動が激化し、韓国では財閥が連続倒産した。アジア各国・地域の株式相場は急落し、1998年の実質経済成長率は軒並みマイナス(タイ:-10.8%、インドネシア:-13.1%、マレーシア:-7.4%、韓国:-5.5%、フィリピン:-0.6%)に陥り、アジア景気は極端に冷え込んだ。日本では、アジア向け融資が焦げ付き、北海道拓殖銀行や山一(やまいち)証券が破綻(はたん)した1997年からの金融危機の遠因になったとされる。危機の教訓を踏まえ、日中韓と東南アジア諸国連合(ASEAN(アセアン))は2000年、アメリカドルを融通し合う通貨交換協定「チェンマイ・イニシアティブ」の創設で合意した。なお類似の新興国通貨危機には1994年のメキシコの「テキーラ通貨危機」、1998年のロシア通貨危機、1999年のブラジル通貨危機などがある。[矢野 武]

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