出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
1955年4月18~24日にインドネシアのバンドンで開催されたアジア,アフリカ諸国の政府レベルの会議。バンドン会議あるいはAA会議ともいう。平和地域を拡大し東西間の緊張を積極的に緩和することを目ざして,セイロン(現,スリランカ),インド,パキスタン,インドネシア,ビルマ(現,ミャンマー)の〈コロンボ・グループ〉が招請したこの会議は,日本,中国を含むアジア15ヵ国,中東8ヵ国,アフリカ6ヵ国,計29ヵ国の正式参加をえ,反帝国主義・反植民地主義を基調としてアジア・アフリカの連帯を強めるのに貢献した。この会議で採択されたいわゆる平和十原則(バンドン十原則)は,1954年4月に中国とインドが〈チベットに関する協定〉のなかで確認した平和五原則を拡大発展させたもので,その普遍性はいまなお失われていない。このようにアジア,アフリカ諸国の平和への願望と反帝国主義・反植民地主義的連帯をはじめて形に表したという意味で,アジア・アフリカ会議は未曾有の歴史的会議であったが,60年代に入って,植民地主義からの解放が最も遅れていたアフリカでも〈独立の時代〉が過ぎ去ると,反帝国主義・反植民地主義を基調とするアジア,アフリカ諸国の連帯も,その強さをしだいに失っていった。65年6月にアルジェで開催される予定であった第2回会議が,直前に開催国アルジェリアで起こった政変のために秋に延期されたのち,結局は流会に終わったのも,もとはといえば帝国主義・植民地主義に対する態度に不一致が生じたためであった。
執筆者:小田 英郎
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…この植民地解放を推し進めた要因は,資本主義圏と社会主義圏をそれぞれ代表するアメリカとソ連という指導的な超大国の出現による世界勢力の再編,旧植民地主義列強の能力の衰退,独立運動および抵抗運動の進展と強化などである。アジアにおけるインドの独立(1947),中華人民共和国の樹立(1949)は,1955年のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)に象徴されるように,反植民地主義運動のためのアジア,アフリカの国際的連帯を強め,アフリカの植民地解放に大きく寄与した。その結果,ガーナ(1957)をはじめとする多数のアフリカ諸国があいついで独立し,とりわけ独立が集中した1960年は〈アフリカの年〉と呼ばれた。…
※「アジアアフリカ会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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