アステア(英語表記)Fred Astaire

デジタル大辞泉 「アステア」の意味・読み・例文・類語

アステア(Fred Astaire)

[1899~1987]米国ダンサー映画俳優タップダンス名手として知られ、ミュージカル映画一時代を画した。代表作トップ‐ハット」「イースター‐パレード」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「アステア」の意味・わかりやすい解説

アステア
Fred Astaire
生没年:1899-1987

アメリカの代表的ミュージカル・スターの一人。ウィーンからの移住者を父にもち,7歳のときから姉アデルとパートナーを組んでダンスの舞台を踏み,やがてブロードウェーのミュージカルへ進出した。姉の結婚後ハリウッドのスクリーン・テストを受けて,ジョーン・クロフォード主演の《ダンシング・レディ》(1933)でデビュー。戦前は,《空中レビュー時代》(1933)から《トップ・ハット》(1935),《踊らん哉》(1937)を経て,《カッスル夫妻》(1939)に至る9本で一世をふうびしたジンジャー・ロジャーズとのコンビをはじめ,リタ・ヘイワース(《踊る結婚式》1941,《晴れて今宵は》1942),エリノア・パウエル(《踊るニューヨーク》1940)などを相手に,戦後も,ジュディ・ガーランド(《イースター・パレード》1948),シド・シャリッシ(《バンド・ワゴン》1953),レスリー・キャロン(《足ながおじさん》1955),オードリー・ヘプバーン(《パリの恋人》1957)を相手に,多くの〈シング・アンド・ダンス〉映画に出演した。コールポーター,ジョージ・ガーシュウィンアービングバーリン,ジェローム・カーンらの曲を歌ってヒットさせ,かつ洗練された振付によるダンス・ナンバーを見せた。自分の影と踊る,鏡に映った姿と踊る,靴や帽子掛けなどの物を相手に踊るといった斬新なアイデアや,モダン・バレエをとり入れたナンバーで〈レビュー映画〉の殻を破り,新しい〈ミュージカル映画〉の道を開いた。戦後の〈MGMミュージカル〉をジーン・ケリーとともに担った。晩年も演技者として《渚にて》(1959),《タワーリング・インフェルノ》(1974)などに出演した。自伝《ステップ・イン・タイム》(1959)がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アステア」の意味・わかりやすい解説

アステア
あすてあ
Fred Astaire
(1899―1987)

アメリカのタップ・ダンサー、映画俳優。本名Frederic Austerlitz。ネブラスカ州オマハに生まれる。ブロードウェー・ミュージカルやボードビルのダンサーとして出発、ハリウッドのミュージカル映画に出演し、軽妙さ、ウイットのある演技で人気を得た。ジンジャー・ロジャーズ(1911―1995)と組んで『トップ・ハット』(1935)などに出演したほか、ジュディ・ガーランドと『イースター・パレード』(1948)、シド・チャリシー(1922―2008)と『バンド・ワゴン』(1953)、レスリー・キャロン(1931― )と『足ながおじさん』(1955)で共演。1959年の『渚(なぎさ)にて』以後はシリアスな映画にも出演して新生面を開いた。

[市川 雅]

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百科事典マイペディア 「アステア」の意味・わかりやすい解説

アステア

俳優。米国,ネブラスカ州生れ。ダンサーをへて映画界に進出。1930年代に女優のジンジャー・ロジャース〔1911-1995〕とコンビを組み,洗練された踊りと斬新なアイデアのミュージカル映画で一世を風靡する。代表作に《トップ・ハット》(1935年),《有頂天時代》(1936年),《踊るニューヨーク》(1940年),《イースター・パレード》(1948年),《バンド・ワゴン》(1953年),《足ながおじさん》(1955年)などがある。また,核戦争後を描いた《渚にて》(1959年)で演技者としての力量も見せ,パニック映画《タワーリング・インフェルノ》(1974年),サスペンス映画《ゴースト・ストーリー》(1981年)などにも出演。
→関連項目ガーランドタップ・ダンスドーネンミネリ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アステア」の意味・わかりやすい解説

アステア
Astaire, Fred

[生]1899.5.10. ネブラスカ,オマハ
[没]1987.6.22. ロサンゼルス
アメリカの映画俳優。幼時よりダンスを習い,プロ・ダンサーとなる。 1933年映画界に入り,ジンジャー・ロジャーズとのコンビで『空中レビュー時代』 (1933) ,『トップ・ハット』 (35) ,『カッスル夫妻』 (39) などのミュージカル映画で人気スターとなる。軽快で美しい踊りは世界的に有名で,第2次世界大戦後は渋い演技派としても活躍した。その他『イースター・パレード』 (48) ,『足ながおじさん』 (55) など。

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世界大百科事典(旧版)内のアステアの言及

【タップ・ダンス】より

…おもにボードビル,レビュー,ミュージカルの舞台で踊られ,1920年代から30年代に大いに流行した。黒人のビル・ロビンソンBill Robinson(1878‐1949)とフレッド・アステアの踊りが最も有名で,とくにアステアはジンジャー・ロジャーズGinger Rogers(1911‐95)と組んだ多くの名作映画で日本にも紹介された。アステアのダンス・ナンバーを中心にしたミュージカル映画では,《カッスル夫妻》(1939)が最も著名である。…

【ミュージカル映画】より

… そしてワーナー・ブラザースでバスビー・バークリー(バークレイ)の振付による《四十二番街》(1934)が,奔放なカメラワークによって音楽と視覚的イメージを華麗に結びつけ,〈フィルム・レビュー〉とか〈シネ・オペレッタ〉と呼ばれるものとは一線を画する新しいスタイルをつくりあげ,続いて〈ジャズ・ビート〉を持ち込んでタップ・ダンスを踊りの基礎にした《ゴールド・ディガース》(1933),《フットライト・パレード》(1933)によってバークリーならではの特色を示した。一方,RKOのフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズGinger Rogers(1911‐95)のコンビが,《空中レヴュー時代》(1933)でデビューし,《コンチネンタル》(1934),《トップ・ハット》(1935),《有頂天時代》(1936),《踊らん哉》(1937)等々でジョージ・ガーシュウィン,コール・ポーター,ジェローム・カーン,アービング・バーリンの音楽に乗った〈キャリオカ〉と呼ばれる踊りとともに人気を博した。踊子たちの群舞を大俯瞰で万華鏡のような華麗なイメージで見せたバークリーの振付と,それとは逆に,〈トリック〉によらず踊る人間の生の姿そのものを見せるアステアの振付と踊りが,30年代から40年代にかけてのハリウッド・ミュージカルの二つの基本的なスタイルを象徴するものであった。…

※「アステア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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