日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミネリ」の意味・わかりやすい解説
ミネリ(Vincente Minnelli)
みねり
Vincente Minnelli
(1903―1986)
アメリカの映画監督。シカゴに生まれる。本名レスター・アンソニー・ミネリLester Anthony Minnelli。旅回りの芸人一家に育ち、3歳のころから舞台に立つ。16歳で学校を出て画家を目ざすが、写真館の助手などを経て、シカゴの映画館チェーン「バラバン・アンド・カッツ」で上映前の余興の裏方を務めるようになる。その後ニューヨークに移ってラジオ・シティ・ミュージック・ホールの舞台監督となり、ブロードウェーで名をあげる。パラマウントに短期間在籍した後、1940年にMGMのプロデューサー、アーサー・フリードArthur Freed(1894―1973)に招かれて正式に映画界入り。バズビー・バークリーBusby Berkeley(1895―1976)監督の『ブロードウェイ』(1941)などでミュージカル・ナンバーを演出し、1943年にはオール黒人キャストのミュージカル『キャビン・イン・ザ・スカイ』で監督デビューを飾った。折しもカラー映画が普及し始めた時期であり、色彩感覚に優れたミネリは、たちまちMGMの看板監督にのし上がった。『若草の頃』(1944)に始まり、『時計』The Clock(1945)、『ジーグフェルド・フォーリーズ』(1946)、『踊る海賊』(1948)に主演したジュディ・ガーランドと1945年に結婚、翌1946年には娘ライザ・ミネリが誕生したが、1951年離婚。
そのガーランドがかつて主演した『オズの魔法使』(1939。監督ビクター・フレミングVictor Fleming、1889―1949)によって一躍ハリウッド・ミュージカルの雄となったMGMは、ミネリとスタンリー・ドーネンStanley Donen(1924―2019)に支えられて、第二次世界大戦後のミュージカルの黄金時代を築く。バークリーらの戦前ミュージカルと異なり、彼らは歌や踊りをいっそう自然に物語へと融合させた。ロートレックらの絵の世界にジーン・ケリーGene Kelly(1912―1996)が入り込んで踊る『巴里(パリ)のアメリカ人』(1951)のように、ミネリはスタジオでのセット撮影にこだわりながら、カメラの自在な移動で現実と幻想の境界を軽々と越え、色彩を炸裂(さくれつ)させる。その移動への執念は、カメラを載せてあらゆる方向に移動させることのできる台車「蟹型ドリー」を自ら考案してしまうほどだった。
振付師出身のドーネンと異なり、ミネリは決してミュージカル専門だったわけではなく、メロドラマ、コメディなど他のジャンルでも傑作を残した。なかでもジョン・ハウスマンJohn Houseman(1902―1988)製作による『悪人と美女』(1952)、『蜘蛛(くも)の巣』(1955)、『炎の人ゴッホ』(1956)、『明日になれば他人』(1962)の4本のメロドラマは、いずれも神経症へと至るまでの男性主人公の創造的葛藤を描いており、ミュージカルのミネリとは別の顔を覗(のぞ)かせている。そのほかの代表作に『ヨランダと泥棒』(1945)、『花嫁の父』(1950)、『バンド・ワゴン』(1953)、『ブリガドーン』(1954)、『恋の手ほどき』『走り来る人々』(ともに1958)、『晴れた日に永遠が見える』(1970)がある。『巴里のアメリカ人』でアカデミー作品賞、『恋の手ほどき』で同作品賞と監督賞を受けた。
[藤井仁子]
資料 監督作品一覧
キャビン・イン・ザ・スカイ Cabin in the Sky(1943)
若草の頃 Meet Me in St. Louis(1944)
時計 The Clock(1945)
ヨランダと泥棒 Yolanda and the Thief(1945)
ジーグフェルド・フォリーズ Ziegfeld Follies(1946)
雲流るるはてに Till the Clouds Roll By(1946)
踊る海賊 The Pirate(1948)
ボヴァリー夫人 Madame Bovary(1949)
花嫁の父 Father of the Bride(1950)
可愛い配当 Father's Little Dividend(1951)
巴里のアメリカ人 An American in Paris(1951)
悪人と美女 The Bad and the Beautiful(1952)
三つの恋の物語~「マドマアゼル」 The Story of Three Loves - Mademoiselle(1953)
バンド・ワゴン The Band Wagon(1953)
ブリガドーン Brigadoon(1954)
蜘蛛の巣 The Cobweb(1955)
炎の人ゴッホ Lust for Life(1956)
お茶と同情 Tea and Sympathy(1956)
バラの肌着 Designing Woman(1957)
恋の手ほどき Gigi(1958)
走り来る人々 Some Came Running(1958)
肉体の遺産 Home from the Hill(1960)
ベルズ・アー・リンギング Bells Are Ringing(1960)
黙示録の四騎士 Four Horsemen of the Apocalypse(1961)
明日になれば他人 Two Weeks in Another Town(1962)
けっさくなエディ The Courtship of Eddie's Father(1963)
さよならチャーリー Goodbye Charlie(1964)
いそしぎ The Sandpiper(1965)
晴れた日に永遠が見える On a Clear Day You Can See Forever(1970)
ザ・スター A Matter of Time(1976)
『ジェフリー・ノウェル=スミス著、米塚真治訳「メロドラマとは何か?」(『イマーゴ』1992年11月号・青土社)』▽『Vincente Minnelli, Herbert AcreI Remember It Well(1974, Doubleday, Garden City)』▽『Thomas ElsaesserVincente Minnelli(in Genre, the Musical, 1981, RKP, London)』▽『James NaremoreThe Films of Vincente Minnelli(1993, Cambridge University Press, Cambridge)』
ミネリ(Liza Minnelli)
みねり
Liza Minnelli
(1946― )
アメリカのポピュラー歌手、女優。カリフォルニア州生まれ。父は映画監督ビンセント・ミネリVincente Minnelli(1903―86)、母はジュディ・ガーランド。少女時代から母の映画と劇場ショーに出演。1965年ミュージカル『フローラ、赤の脅威』に主演してトニー賞の最優秀ミュージカル女優賞を受賞、72年の映画『キャバレー』でアカデミー賞の主演女優賞を受賞した。以後ミュージカル『シカゴ』や、映画『ニューヨーク・ニューヨーク』などに活躍。体当たりのダイナミックな熱演で高い人気を得た。77年のミュージカル『ジ・アクト』でトニー賞のミュージカル女優賞を受賞。85年に過度の飲酒と薬物使用のため活動不能となり、前途を絶望視されたが、懸命な努力で約3年間の空白のあと再起し、87年5月末から3週間カーネギー・ホールでコンサートを行って人々を感動させた。88年からは映画の主演にも復帰。95年(平成7)8月にはNHKホールで復帰以前を上回る圧倒的にみごとなショーをみせた。
[青木 啓]
『ウェンディー・リー著、蒲田耕二訳『ライザ・ミネリ――傷だらけのハリウッド・プリンセス』(1995・東亜音楽社)』