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アバール

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百科事典マイペディアの解説

アバール

5―9世紀に中央アジア,東欧,中欧に活動したモンゴル系の遊牧民族。6世紀にトルコ系民族の圧迫を受けて西進し,スラブ系諸族を従え,一時はエルベ川から黒海に及ぶ大勢力となった。
→関連項目フンヘラクレイオス[1世]

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世界大百科事典 第2版の解説

アバール【Avars】

モンゴル系の遊牧騎馬民族で,人種的にはフン族と近縁関係にある。中国の史料に現れる柔然と同一民族であるとの説もあるが,確実でない。確実なのは東部中央アジア(東トルキスタン)にいたとき,エフタル人などとともに一時柔然の支配下にあったことで,北魏の太武帝が柔然を打ち破った(426)のち,その支配から独立したものと思われる。アバール人は460年ごろカスピ海沿岸に現れ,フン系ブルガール人の諸部族を支配下に置いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アバール
あばーる
Avars

フン人と近縁のモンゴル系遊牧騎馬民族。5世紀中葉カスピ海北辺、ドン川下流域に出現、やがてトルコ人に圧迫されてヨーロッパに移り、6世紀中葉にはハンガリー平原に進出、ゲピード人を滅ぼし、ランゴバルト人のイタリア移動後、ドナウ中・下流域を中心に大帝国を建てた。565~566年チューリンゲンに侵入、ビザンティン帝国領内にも侵入を繰り返したが、7世紀中葉よりしだいに勢力が衰えた。788年のバイエルン侵入を機に、フランク国王カールは反撃に転じ、息子のピピンもアバール人の本拠を攻めた。9世紀に入りブルガリア人が勃興(ぼっこう)、アバール人の残存勢力を徹底的に破り、9世紀末東方から侵入したマジャール人に吸収されて、アバール人は姿を消した。[平城照介]

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世界大百科事典内のアバールの言及

【ドナウ[川]】より

…5世紀末にはスラブ人がドナウ国境に姿を見せ,6世紀初めからドナウ川を越えてローマ領に侵入しはじめた。 東方の遊牧民のアバール人は573年ごろドナウ川を渡り,582年には国境線上の最重要都市シルミウムを落とし,次いで近くのシンキドゥスム(現,ベオグラード)以下の町を破壊した。この結果,ドナウ国境は放棄され,アバールとともに多数のスラブ人がバルカン半島になだれ込んできた。…

※「アバール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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