百科事典マイペディアの解説
アブデュルハミト[2世]【アブデュルハミト】
→関連項目エンウェル・パシャ|フサイン
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…しかし,パン・イスラム主義という言葉自体は,1870年代後半のヨーロッパで造語され,急激に広まったものである。19世紀末オスマン帝国スルタン,アブデュルハミト2世は,帝国の解体を阻止するため,逆に世界のイスラム教徒への影響力の強化を企て,アフガーニーを利用しようとしたり,ダマスクス~メディナ間のヒジャーズ鉄道(巡礼鉄道)を建設したりした。1914年,第1次世界大戦にオスマン帝国が参戦したとき,世界のイスラム教徒に向けてジハードが宣せられたが,ほとんど反応はなかった。…
…1900年5月のオスマン帝国スルタンによる勅令によって建設が決定され,その表向きの目的は,イスラム教徒のメッカ巡礼に便宜を供することであった。しかしその背後には,聖地ヒジャーズの支配を維持し,かつパン・イスラム主義を標榜することによって,離反しつつあるアラブを支配下につなぎとめておこうとするスルタン,アブデュルハミト2世のオスマン主義の動機が隠されていた。この鉄道は,スルタン自身を含め,全世界のムスリムの寄付によって資金を得た(ただし,半ば強制的なものもある)ところに,同時代に建設されたバグダード鉄道と性格を異にするものがある。…
…その後,スルタンに疎まれて不遇時代を送ったが,76年5月,軍隊の協力も得てスルタン,アブデュルアジーズの退位,ムラト5世の即位に成功した。その後さらに,アブデュルハミト2世を即位させて憲法の起草に努力し,76年12月には自ら大宰相となり,アジアで最初の憲法(ミドハト憲法)を発布した。しかし,1ヵ月半後にスルタンにより辞任させられ,国外に遠ざけられた。…
※「アブデュルハミト[2世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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