日本大百科全書(ニッポニカ) 「アベイ劇場」の意味・わかりやすい解説
アベイ劇場
あべいげきじょう
Abbey Theatre
1904年にアイルランド国民演劇運動の本拠地としてダブリンのアベイ通りに開設された劇場。イギリス人ホーニマン夫人Annie Elizabeth Frederica Horniman(1860―1937)が出資し、ウィリアム・バトラー・イェーツの『バリアの浜で』とグレゴリー夫人Lady Isabella Augusta Gregory(1852―1932)の『噂(うわさ)のひろまり』で杮落(こけらおと)しを行った。この2人が演出を担当し、文芸色の濃い作品を上演したが、ジョン・ミリトン・シングの一連の秀作を得た幸運に恵まれて、ヨーロッパの片田舎(かたいなか)のこの劇場が一躍世界的名声を得ることになった。しかし1908年に上演の中心だったフェイ兄弟Frank Fay(1870―1931)、W. G. Fay(1872―1947)が去るなどしてしだいに昔日の勢いを失い、作品も写実劇が多くなった。その後も第一次世界大戦などで衰微したが、1924年国民劇場となって財政基盤が安定し、ショーン・オケーシーの傑作が寄せられたりしたこともあり、また勢いを増した。以後ゲール語(ケルト人の固有語)の芝居を上演するなど、アイルランドの民族意識に根ざした着実な活動を続けた。1951年、劇場が焼失したが、1966年に再建され、ブライアン・フリールBrian Friel(1929―2015)やヒュー・レナードHugh Leonard(1926―2009)などの作家がここを舞台に秀作を発表している。なお1927年には付設の実験劇場ピーコックが開場した。
[中野里皓史・大場建治]
『山本修二著『アイルランド演劇研究』(1968・あぽろん社)』