オケーシー(読み)おけーしー(英語表記)Sean O'Casey

デジタル大辞泉 「オケーシー」の意味・読み・例文・類語

オケーシー(Sean O'Casey)

[1880~1964]アイルランドの劇作家労働運動・独立運動にも参加、貧民生活を写実的に描いた。作「革命戦士の影」「ジュノーと孔雀くじゃく」など。

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精選版 日本国語大辞典 「オケーシー」の意味・読み・例文・類語

オケーシー

  1. ( Sean O'Casey ショーン━ ) アイルランドの劇作家。ダブリンの貧民生活をユーモアペーソスをまじえて写実的に描く。「ジュノー孔雀」「犂(すき)と星」「銀盃」など。(一八八〇‐一九六四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オケーシー」の意味・わかりやすい解説

オケーシー
おけーしー
Sean O'Casey
(1880―1964)

アイルランドの劇作家。ダブリンのスラム街に住む子だくさんな新教徒の末子として生まれる。早く父を亡くして以後雑役などで働き、労働運動や祖国のイギリス支配からの独立運動に参加、名もJohnから民族風に改めた。ほとんど独学で自由に聖書に親しみ、シェークスピアを読み、あるいは演じたが、政治の党派性に幻滅したのち、本格的に劇作に取り組んだ。劇作家のグレゴリー夫人Lady Isabella Augusta Gregory(1852―1932)やイェーツの助言で、スラム生活に取材して人物造形に努力した4本目の『革命戦士(ガンマン)の影』(1923)が、アイルランド近代劇の殿堂、ダブリンのアベイ劇場上演され、次の『ジュノーと孔雀(くじゃく)』(1924)は大好評で、劇場の財政にも寄与した。『鋤(すき)と星』(1926)では客席で支持者と批判派との乱闘までみられたが、写実的傾向から表現主義的作風に傾いた『銀杯』(1928)は劇場側から上演を拒否された。そのため故国民衆を愛しつつも、冷静な観察者でもある彼は、仕事の場を求めて、イギリス永住を決意した。『銀杯』は翌1929年にロンドンで初演され、のちアベイ劇場でも上演された。以後の作品には『紅塵(こうじん)』(1940)、『僧正のかがり火』(1955)などがある。シングの後継者と目され、激変期のアイルランドでの体験に基づき、故国の伝説キリスト教マルクスなどの影響の下に、笑いと悲しさ、怒りと哀れみの分かちがたい作風で生と死の力のせめぎあいを描き、『扉を叩(たた)く』以下全6巻の自伝(1939~1954)も残した。

[森 康尚]

『W・A・アームストロング著、小田島雄志訳『オケイシイ』(1971・研究社出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オケーシー」の意味・わかりやすい解説

オケーシー
O'Casey, Sean

[生]1880.3.30. アイルランド,ダブリン
[没]1964.9.18. イギリス,トーキー
アイルランドの劇作家。本名 John Casey。愛国主義者として青年時代を過ごしたのち,労働運動に身を投じ,やがてアイルランド独立運動を背景に庶民の生活を描いた『銃士の影』The Shadow of a Gunman(1923)によって劇壇に登場。次いで同傾向の『ジュノーと孔雀』Juno and the Paycock(1924),『鋤と星』The Plough and the Stars(1926)を発表。これらの作品は愛国主義者の憤激を買ったが,『銀盃』The Silver Tassie(1928)がアビー劇場での上演を拒否されるに及び,イギリスに移って,自作の母国での上演をしばらく許さなかった。『星は赤くなる』The Star Turns Red,『紅塵』Purple Dust(ともに 1940)など中期の作品には象徴的雰囲気が加わり,マルクス主義の影響も著しくなる。晩年の作品には,教会や富裕階級の支配と,自由を求める青年との対立を描いたものが多い。ほかに 6巻の自伝(1939~56)がある。オケーシーの作品はアイルランド庶民の方言をいかしながら,その人間性を冷静に観察しているのが特色。

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改訂新版 世界大百科事典 「オケーシー」の意味・わかりやすい解説

オケーシー
Sean O'Casey
生没年:1880-1964

アイルランドの劇作家。ダブリンのスラム街に生まれ,貧窮の中に育つ。内乱時のアイルランドをリアリスティックに描いた《狙撃者の影》(1923初演),ダブリンのスラム街を舞台にした《ジューノーとクジャク》(1924初演),自ら参加した1916年のイースター蜂起を扱った《鋤と星》(1926)などによって地位を確立。これらはすべてアベー座で上演されたが,《鋤と星》で登場人物の愛国者を批判的に描写したため観客の怒りをかい,イギリスへ去り,そのまま帰国しなかった。1928年,表現主義的な反戦劇《銀の杯》(1929ロンドン初演)の上演を実験的すぎるとしてアベー座が拒否した後,彼はアイルランドにおける自作の上演をしばらく許さなかった。後年の作品には《わがための赤きばら》(1943初演),《ニワトリのダンディ》(1949)などがあるが,いずれもアイルランド社会の偽善を痛烈にあばいており,先鋭な政治意識は初期の作品に通じる。ほかに39年から54年にかけて刊行された6巻の自伝や演劇論がある。
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百科事典マイペディア 「オケーシー」の意味・わかりやすい解説

オケーシー

アイルランドの劇作家。ダブリンの貧民街に生まれ,労働運動や独立運動を体験,暴動を扱った《狙撃者の影》(1923年)で認められる。民衆喜劇《ジュノーと孔雀》(1924年),《鋤と星》(1926年)に次いで表現主義的な《銀の杯》(1928年)があり,ほかに《おんどり》(1949年)など。
→関連項目アベー座

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世界大百科事典(旧版)内のオケーシーの言及

【アイルランド文学】より

…この作品は仮借ない観察と戯画のゆえに,初演当時は観衆の反感をかったが,その後のアイルランド演劇の基本的な性格を内蔵している。10年代に入るとロビンソンEsmé Stuart Lennox Robinson(1886‐1958)らの農民写実劇が主流をしめ,20年代にはショーン・オケーシーが《狙撃者の影》(1923初演),《ジューノウと孔雀》(1924初演),《鋤と星》(1926初演)において,対英抗争と内乱の時代を背景に,貧民街労働者たちの悲喜劇を描いて新たな活力を吹きこんだ。イェーツは中期以後も《鷹の井戸》(1916初演)など,日本の能の手法を取り入れた象徴的な伝説劇や寓意劇を書き続け,また演劇活動や内乱時代の体験をふまえて《塔》(1928),《螺旋階段》(1933)など優れた詩集を発表して,世界的な名声を得たが,その中核にはつねにケルト族の神話・伝説が存在している。…

※「オケーシー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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