アルザス・ロレーヌ(読み)あるざすろれーぬ(英語表記)Alsace-Lorraine

翻訳|Alsace-Lorraine

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルザス・ロレーヌ」の意味・わかりやすい解説

アルザス・ロレーヌ
あるざすろれーぬ
Alsace-Lorraine

フランス北東部、ドイツ国境に近いライン川西岸の地域。ドイツ領時代にエルザス・ロートリンゲンElsaß-Lothringenの名でよばれた地域であるが、フランスではアルザスロレーヌとをそれぞれ別の地名として用いる。アルザスとロレーヌはボージュ山脈でほぼ境される。この地方は戦略上の要地であるうえ、アルザスはぶどう酒、小麦、サトウダイコン、木材の産地で工業も発達し、ロレーヌは石炭と鉄の産地でとくに鉄鋼はヨーロッパ第一の生産高がある。そのため、古くからドイツとフランスの係争地となってきた。言語や文化の面では、いまなおドイツの影響がみられる。

 アルザスはライン地溝帯の南西部を占め、東はライン川、西はボージュ山脈、南北はそれぞれスイスおよびドイツとの国境に接している。現在ではバ・ラン県とオー・ラン県の範囲に相当し、面積8280平方キロメートル、人口173万4145(1999)。主要都市はストラスブールミュルーズである。歴史的には数々の辛酸をなめてきた地方であるが、アルザスの風景は美しく、風土の厳しいドイツ人にとっては陽光のあふれる庭園である。ボージュ山脈の障壁によって西風から保護され、比較的乾燥しているが、気候は大陸的で冬は厳しく、年間の天気も変わりやすい。

 ロレーヌはパリ盆地の外縁部に相当する大きな台地で、東のボージュ山脈を境にアルザスと接し、南はソーヌ川上流域の台地に、北西はアルデンヌ高原に続いている。この台地をミューズ川とモーゼル川が刻んで北へ流れている。ロレーヌはミューズ県、ムルト・エ・モーゼル県、モーゼル県、ボージュ県の四つからなり、面積2万3547平方キロメートル、人口231万0376(1999)。主要都市はナンシーとメスである。ボージュ山脈の緩い西斜面は、偏西風を受けるために降水量が多く、広く森林に覆われ、その間に放牧地や牧草地が点在する。

[大嶽幸彦]

歴史

ケルト人が住んでいたこの地方は、紀元前1世紀なかば、カエサルに征服されてからローマの属州となった。ついでゲルマン民族に侵入され、大部分フランク王国に服属することになった。その支配は、メルセン条約(870)を経てドイツ帝国(神聖ローマ帝国)に引き継がれた。しかし封建諸侯、都市、教皇などの支配関係の入り組んだこの地に、フランスは、それらの対立をついてしだいに勢力を拡大するようになった。ユグノー戦争、三十年戦争(1618~1648)と続く戦乱はフランスに利した。ウェストファリア条約によってフランスはアルザスの10の帝国都市を得、さらにルイ14世の治世にストラスブールを支配下に置いた(1681)。ロレーヌについては、16世紀なかばに3司教領を占領して根拠を築いたフランスは、1766年に王国に併合した。しかし、アルザスでもロレーヌでも、住民の大多数はフランス語ができなかったし、経済もドイツとのつながりが強かった。フランスへの統合を完成させたのは、18世紀末のフランス革命であった。そして19世紀に入って、綿工業、鉄工業の中心として発展した。

 その後、プロイセン・フランス戦争(普仏戦争。1870~1871)によって、戦勝国ドイツはアルザスの大部分とロレーヌの東半分を獲得、帝国直属領とし、ドイツ化を推進した。1911年には、自治運動を鎮めるために、自治議会の設立に同意した。第一次世界大戦で戦勝国となったフランスは、ベルサイユ条約によってこの地を取り戻し、その後マジノ線を敷いてドイツの復讐(ふくしゅう)に備えたが、第二次世界大戦が始まると、ヒトラーのドイツ軍はこの地に侵攻、占領した。連合軍は戦争末期に奪回に成功し、戦後フランスはその領土を回復した。

[本池 立]

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旺文社世界史事典 三訂版 「アルザス・ロレーヌ」の解説

アルザス・ロレーヌ
Alsace-Lorraine

フランス北東部,ドイツ国境に近いライン川西岸の肥沃な地域で,ドイツ・フランス両国の1000年にわたる歴史的係争地。ドイツ名はエルザス・ロートリンゲン
ローマ帝国領からフランク王国をへて,870年のメルセン条約で東フランク王国が領有するようになった。10世紀以来,フランスはこの地方の奪回を試み,ついにウェストファリア条約(1648)でほぼ併合し,対ハプスブルク家政策上,重要な軍事拠点とした。1789年フランス革命が勃発すると,この地方の封建体制は崩壊し,言語・習慣などはドイツ風ながら,住民はフランス人としての国民意識を強めた。1871年,ビスマルクはフランスを破るとこの地方を併合してドイツ帝国領とし,豊富な石炭・鉄を得て資本主義を発展させた。ドイツ系住民が圧倒的に多いにもかかわらず文化的にフランス化されていたため,帝国支配に対する住民の反発が強く,ドイツも1911年自治権を認めた。第一次世界大戦後,ヴェルサイユ条約で再びフランス領となり,ロカルノ条約で安全保障を確保した。第二次世界大戦中は一時ドイツに占領されたが,戦後フランスに返還され,現在に至っている。ロレーヌの名はヴェルダン条約でロタール領になったことに由来する。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「アルザス・ロレーヌ」の解説

アルザス・ロレーヌ
Alsace-Lorraine

フランスの北東部を占める地域で,ブドウ酒,小麦,てんさいなどの農産物,大量の鉄,石炭を産出し,化学工業の発達が著しい。もとケルト人が先住していたが,前58年ローマ帝国領,ついでフランク王国の一部となり,メルセン条約でその大部分は東フランク王国の領土となった。しかし10世紀以来この地はフランス,ドイツの争奪戦の対象となり,1697年アルザスが,1776年ロレーヌがフランス領となった。その後プロイセン‐フランス戦争で敗れたフランスは,アルザスの大部分とロレーヌの半分をドイツに奪われたが,第一次世界大戦後ヴェルサイユ条約によってこれを回復した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアルザス・ロレーヌの言及

【普仏戦争】より

…フランスには共和政権が樹立され,対独抵抗戦が続けられたが,71年1月28日パリを開城するに至り,5月講和条約が結ばれた。フランスは賠償金50億フランの支払,アルザス・ロレーヌ(エルザス・ロートリンゲン)の大半を割譲する。なお,この間の1月18日,ベルサイユ宮殿鏡の間でドイツ帝国の成立が宣せられた。…

※「アルザス・ロレーヌ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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