アルバニア社会党(読み)アルバニアしゃかいとう(英語表記)Partia Socialiste e Shgipërisë:PSS

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルバニア社会党」の意味・わかりやすい解説

アルバニア社会党
アルバニアしゃかいとう
Partia Socialiste e Shgipërisë:PSS

アルバニア政党。 1941年 11月アルバニア共産党として発足,48年 11月第1回代表大会で党名をアルバニア労働党に変更。 61年以降の中ソ論争では常に中国共産党側に立ち,ソ連共産党対立していたが,72年中国が対米政策を変更してのち,中国の対米路線を批判,中国共産党と対立するようになった。この間党内で対中路線をめぐり対立が生じ,中国の対米路線に反対する E.ホッジャにより大量の粛清があったといわれる。ホッジャが 85年4月に死去したのちは R.アリア人民議会幹部会議長が後継した。アリア政権は 90年1月以降,自由化の波に直面して一党独裁の放棄と複数政党制,大統領制の導入を決定。 91年4月総選挙で3分の2の議席を獲得してアリアはみずから大統領の座についた。選挙後,一部の勢力が離党してアルバニア共産党を設立。 91年6月の党大会で現党名に変更した。 92年3月の第2回自由選挙ではアルバニア民主党に大敗し,アリアは責任をとって大統領と党首辞任後任にはファトス・ナノが就任した。しかし,93年にアリアとナノが政治汚職で拘禁されたことで,党は勢力を後退させ,さらに 96年には党内が分裂し保守派が離党した。しかし,97年6月の総選挙では勢力を盛返して民主党を破り,社会党を中心とする連立政権を組織したほか,同年7月にはメイダニ書記長が大統領に就任した。 98年に入ると反政府圧力が強まりナノは首相を辞任,後任の新首相にはパンデリ・マイコ書記長が就任し,人権連合などとの5党連立内閣が発足した。

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