日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルフォンソ(10世)」の意味・わかりやすい解説
アルフォンソ(10世)
あるふぉんそ
Alfonso X
(1221―1284)
レオン・カスティーリャ王(在位1252~1284)。文化面で後世に残る仕事をしたことから「賢王el Sabio」の異名をもつ。レコンキスタ(国土回復戦争)を大きく飛躍させたフェルナンド3世を継いだアルフォンソは、外に向けては内外の反対を押し切って神聖ローマ帝国の帝位をねらい、内政面ではローマ法の復活に鼓舞されて王権の強化と行政の中央集権化を政策目標とした。このために国内世論の支持は多分に遠のき、封建勢力は対決の姿勢を強めた。加えて、1264年に起きた大規模なイスラム教徒の反乱が、その鎮圧に手間どった王の威信低下に拍車をかけ、ついで1275年の皇太子の病死はその子供たちとサンチョ親王との間の王位継承争いに発展した。サンチョがカスティーリャ法に則して議会から王位継承者の承認を得ると、アルフォンソはローマ法の立場からこれを退けた。サンチョは世論の支持を背景に父王に対して反乱を起こし、王はセビーリャに包囲された形で死んだ。政治的才覚に乏しかった分だけアルフォンソは文才に恵まれ、学問への関心が強かった。自ら叙情詩『聖母讃歌(さんか)』をつくる一方、信教を問わず多くの学者文人を指揮して法典、歴史書、天文学書などの翻訳や執筆事業を促進した。
[小林一宏]