デジタル大辞泉
「姨捨山」の意味・読み・例文・類語
おばすて‐やま〔をばすて‐〕【姨捨山】
長野県千曲市にある冠着山の別名。標高1252メートル。古くから「田毎の月」とよばれる月見の名所。更級に住む男が、山に捨てた親代わりの伯母を、明月の輝きに恥じて翌朝には連れ戻しに行ったという、姨捨山伝説で知られる。[歌枕]
「わが心なぐさめかねつ更級や―に照る月をみて」〈古今・雑上〉
うばすて‐やま【姨捨山】
⇒おばすてやま
(「姥捨山」と書く)役に立たなくなった老人を山に捨てたという伝説から、組織などで、年をとってあまり役に立たなくなった人を移しておく部署や地位のたとえ。
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おばすて‐やまをばすて‥【姨捨山】
- [ 1 ] 長野県中北部、千曲市にある冠着(かむりき)山の別名。古来観月の名所で、「田毎(たごと)の月」で知られる。「大和物語」によれば、更級に住む男が、妻のすすめで山の頂に捨てた伯母を「わが心なぐさめかねつさらしなやをばすて山に照る月をみて〈よみ人しらず〉(古今‐雑上)」と歌い、迎えに行ったというところから名づけられた。更級(さらしな)山。親捨山。うばすてやま。→姨捨。
- [初出の実例]「さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりにすすむる秋風の心に吹さはぎて」(出典:俳諧・更科紀行(1688‐89))
- [ 2 ] 〘 名詞 〙 =うばすてやま(姨捨山)[ 二 ]〔訂正増補新らしい言葉の字引(1919)〕
うばすて‐やま【姨捨山】
- [ 1 ] =おばすてやま(姨捨山)
- [ 2 ] 〘 名詞 〙 ( 学問でもして独立しなければならないような不美人の行く学校というところから ) 女子大学をいった、明治・大正期の学生仲間の隠語。〔現代新語辞典(1919)〕
- [初出の実例]「女子大学の人が五六名ゐます。姥捨山(ウバステヤマ)も此頃は然う馬鹿に出来ませんよ」(出典:続珍太郎日記(1921)〈佐々木邦〉三)
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姨捨山
おばすてやま
姨捨山の位置・名称については種々あって一定しない。名称の初見は「古今和歌集」で、一七雑上に
<資料は省略されています>
とある。「古今集」の成立は延喜五年(九〇五)なので、この頃既に都に月の名所として知られ始めていた。なお棄老の物語がみえ始めるのが「大和物語」で、「信濃の国更級といふ所に男住みけり。若き時に親死にければ、をばなむ親の如くに、若くよりあひ添ひてあるに、この妻の心いと心憂き事多くて、この姑の、老いかがまりて居たるを常に憎みつゝ、男にもこのをばのみ心のさがなく悪しき事を言ひ聞かせければ、昔の如くにもあらず、おろかなる事多く、このをばのためになりゆきけり」とあり、その成立は村上天皇から花山天皇の頃(九四六―九八六)とされている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
姨捨山
おばすてやま
長野盆地の南西部にある山。千曲市(ちくまし)、筑北村(ちくほくむら)の境にそびえ、古来姥捨山伝説(うばすてやまでんせつ)のある山として知られる。標高1252メートル。山容は円頂丘をなし、標高は高くないが全体に険しく全山森林に覆われている。JR篠ノ井(しののい)線がこの下をトンネルで抜ける。一名、姨母棄山(おばすてやま)、冠着山(かむりきやま)、更級山(さらしなやま)などともいわれ、伝説のほか、月の名所としても平安時代以来知られている。伝説は『大和(やまと)物語』に出ているのが初めで、ついで『今昔(こんじゃく)物語』にも現れ、さらに世阿弥(ぜあみ)の謡曲『姨捨』ともなった。それ以前は冠山(かんむりやま)といっていた。また、この山は長野市と松本市方面を結ぶ東山道(とうさんどう)の支道をはじめ、中世から近世にかけての善光寺(ぜんこうじ)道が通過していたので山頂の南に一本松峠、北に猿ヶ馬場(さるがばば)峠などがあり、後者は最近この一帯を聖(ひじり)高原と称し県立自然公園になっている。また、長野盆地に臨む斜面一帯は小さな水田が階段状に並び、篠ノ井線姨捨駅近くの長楽寺(ちょうらくじ)は、階段状の水田に映る月(田毎の月(たごとのつき))や、対岸の鏡台(きょうだい)山に昇る月の名所にもなっていて、その観月堂には多くの句碑があり、松尾芭蕉(ばしょう)や能因(のういん)法師、藤原定家らがここの月や山に関し詠じている。国の名勝として1999年(平成11)に「姨捨(田毎の月)」が指定された。
[小林寛義]
『西沢茂二郎著『姨捨山 聖山の歴史』(1966・冠山・聖山高原周辺の史実と文化財刊行会)』
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姨捨山
おばすてやま
老人を山野に遺棄するという昔話。信州の姨捨山のようにこれを伝説として語っている場所もある。姨捨山の昔話は3通りあり,いずれも親孝行を主題としている。 (1) 捨てられに行く老母が,道々木の枝を折って捨てて行く。息子がどうしてそんなことをするのかとたずねると,おまえが帰り道に迷わないためといわれ感動して老母を捨てずに連れ帰る。 (2) 息子を連れて親を籠に乗せて捨てに行った男が,帰りに息子が籠を背負って帰ろうとするので,それを何にするのかとたずねると次にお父さんを捨てるときに使うといわれ,思い返して親を連れ帰る。 (3) 国の掟で捨てなければならない親を隠しておいた息子があったが,この国に隣国から難題がもちかけられ,もし解くことができなければ,いくさをしかけられるということになった。困った殿様は国中にふれを出して解答を求めたが,このときみごとな解答で国を救ったのは,息子が隠しておいた親であった。このことがあってから,棄老の風習は姿を消したという。
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姨捨山【おばすてやま】
長野県千曲市南部の山。〈うばすて〉山とも。冠着(かむりき)山ともいい,標高1252m篠ノ井線姨捨駅付近をさすこともある。小区画の田が階段状に並び,田毎(たごと)の月と呼ばれる観月の名所で,山腹に長楽寺観月堂がある。姥捨山伝説,歌枕(うたまくら)でも有名。
→関連項目更埴[市]|月見
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世界大百科事典(旧版)内の姨捨山の言及
【姥捨山】より
…伝説としても広く分布している。《大和物語》の話は有名で,信濃更級(さらしな)の姨捨(おばすて)山の地名由来になっている([冠着(かむりき)山])。東北地方では60歳を〈木の股年〉と呼び,この歳になると,山の木の股にはさんで捨てると伝えている。…
※「姨捨山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」