姨捨山の位置・名称については種々あって一定しない。名称の初見は「古今和歌集」で、一七雑上に
とある。「古今集」の成立は延喜五年(九〇五)なので、この頃既に都に月の名所として知られ始めていた。なお棄老の物語がみえ始めるのが「大和物語」で、「信濃の国更級といふ所に男住みけり。若き時に親死にければ、をばなむ親の如くに、若くよりあひ添ひてあるに、この
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長野盆地の南西部にある山。千曲市(ちくまし)、筑北村(ちくほくむら)の境にそびえ、古来姥捨山伝説(うばすてやまでんせつ)のある山として知られる。標高1252メートル。山容は円頂丘をなし、標高は高くないが全体に険しく全山森林に覆われている。JR篠ノ井(しののい)線がこの下をトンネルで抜ける。一名、姨母棄山(おばすてやま)、冠着山(かむりきやま)、更級山(さらしなやま)などともいわれ、伝説のほか、月の名所としても平安時代以来知られている。伝説は『大和(やまと)物語』に出ているのが初めで、ついで『今昔(こんじゃく)物語』にも現れ、さらに世阿弥(ぜあみ)の謡曲『姨捨』ともなった。それ以前は冠山(かんむりやま)といっていた。また、この山は長野市と松本市方面を結ぶ東山道(とうさんどう)の支道をはじめ、中世から近世にかけての善光寺(ぜんこうじ)道が通過していたので山頂の南に一本松峠、北に猿ヶ馬場(さるがばば)峠などがあり、後者は最近この一帯を聖(ひじり)高原と称し県立自然公園になっている。また、長野盆地に臨む斜面一帯は小さな水田が階段状に並び、篠ノ井線姨捨駅近くの長楽寺(ちょうらくじ)は、階段状の水田に映る月(田毎の月(たごとのつき))や、対岸の鏡台(きょうだい)山に昇る月の名所にもなっていて、その観月堂には多くの句碑があり、松尾芭蕉(ばしょう)や能因(のういん)法師、藤原定家らがここの月や山に関し詠じている。国の名勝として1999年(平成11)に「姨捨(田毎の月)」が指定された。
[小林寛義]
『西沢茂二郎著『姨捨山 聖山の歴史』(1966・冠山・聖山高原周辺の史実と文化財刊行会)』
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…伝説としても広く分布している。《大和物語》の話は有名で,信濃更級(さらしな)の姨捨(おばすて)山の地名由来になっている(冠着(かむりき)山)。東北地方では60歳を〈木の股年〉と呼び,この歳になると,山の木の股にはさんで捨てると伝えている。…
※「姨捨山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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