改訂新版 世界大百科事典 「アルフォンソ10世」の意味・わかりやすい解説
アルフォンソ[10世]
Alfonso Ⅹ
生没年:1221-84
レオン・カスティリャ王。在位1252-84年。文芸活動を保護振興したところから,〈賢王〉の異名で知られる。法典と史書の編纂を指揮し,アラビア語学術書の翻訳事業を助け,自らも詩作したが,政治の責任者としては理想と野心だけが先走り,失政の連続であった。国土回復戦争の英雄,父フェルナンド3世の功に便乗したアフリカ遠征(1260)は成功せず,逆に国内のイスラム教徒の反乱(1264)とアフリカからの新たな武力干渉(1275)を引き起こした。他方,1257年から約16年間,神聖ローマ帝国の内紛から舞い込んだ皇帝即位の可能性に執着して国内世論の強い反発を受け,また,その王権強化と中央集権的姿勢--有名な《七部法典》はその表れだった--は貴族と教会に限らず,広く社会の不評を買った。こうした中で貴族の一部は王弟フェリペを立てて実力行動に打って出,次いで長子フェルナンドが病死すると(1275),王位継承権をめぐって次男サンチョとフランス王の支援を受けるフェルナンドの遺児たちの対立が重なり,国内情勢は一層複雑化した。そして最後にはアルフォンソ王とサンチョ王子の仲は決裂,国内の貴族・教会・騎士修道会・都市のほかに,ポルトガル王とアラゴン王の支援を取り付けた同王子は,父王をセビリャの町に追い込んだ。窮したアルフォンソはアフリカのイスラム軍に救援を頼んだが,これは問題解決には結び付かず,サンチョ王子に恨みを残して死んだ。
→シエテ・パルティダス
執筆者:小林 一宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報