改訂新版 世界大百科事典 「アーガーハーン」の意味・わかりやすい解説
アーガー・ハーン
āghā khān
1818年以降ニザール派イマームによって用いられている称号。元来はイランのカージャール朝宮廷の名誉称号。1817年ニザール派イマームの地位を父シャー・ハリール・アッラーより継承したハサン・アリー・シャーが,18年カージャール朝のファトフ・アリー・シャーの娘をめとり,マハラートとコムの知事に任命された際に贈られたのが最初である。普通彼をアーガー・ハーン1世(1800-81)と呼ぶ。38年ムハンマド・シャー治下のケルマーンでの反乱に失敗したハサンは,アフガニスタンを経て,40年シンドに避難した。イギリスのシンドおよびアフガニスタン政策遂行に貢献した後,48年ボンベイに移り住み,インドのニザール派信徒ホジャ派内の彼の地位をめぐる紛争を,66年裁判に勝って乗り切り,ホジャ派の精神的首長としての地位を確立した。81年没し,その子アリー・シャー(1885没)がアーガー・ハーン2世として跡を継いだ。
執筆者:加藤 和秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報