イエロージャーナリズム(その他表記)yellow journalism

デジタル大辞泉 「イエロージャーナリズム」の意味・読み・例文・類語

イエロー‐ジャーナリズム(yellow journalism)

興味本位な記事を売り物にする報道のしかた。また、そのような新聞。19世紀末、ニューヨークの新聞「ジャーナル」と「ワールド」が「イエローキッド」という色刷り漫画を奪い合って売り物にしたところからいう。

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精選版 日本国語大辞典 「イエロージャーナリズム」の意味・読み・例文・類語

イエロー‐ジャーナリズム

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] yellow journalism ) 扇情的な記事に重きをおく、興味本位な新聞編集の行き方。また、その新聞。〔新しき用語の泉(1921)〕
    1. [初出の実例]「ニューヨーク・タイムスの標語は、あながちに近親相姦や、イエロー・ジャーナリズムを戒めたばかりではあるまい」(出典:鉛筆ぐらし(1951)〈扇谷正造〉序に代えて)

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改訂新版 世界大百科事典 「イエロージャーナリズム」の意味・わかりやすい解説

イェロー・ジャーナリズム
yellow journalism

部数利潤の拡大を至上目標に,スキャンダルセンセーショナリズム売物にするジャーナリズムへの蔑称(べつしよう)。日本で赤新聞といわれるのがほぼ同義。1890年代,巨大企業と化したピュリッツァーの《ワールド》紙と,ハーストの《ニューヨーク・ジャーナル》紙は,常軌を逸した競争を展開する。《ワールド》の日曜版は,8ページの漫画セクションを出し,そのうちの4ページをカラーで印刷していた。アウトコールトRichard F.Outcaultの黄色い服を着た子どもを主人公にする漫画《イェロー・キッド》(最初は〈Hogan's Alley〉という題)は,その呼物であった。96年初め,ハーストは《ワールド》日曜版のほとんど全部のスタッフを引き抜き(ピュリッツァーが〈買い戻す〉が,ハーストがより高給で誘い,24時間でまたハーストにつく),その秋全8ページカラーの漫画セクション〈American Humorist〉を出す。アウトコールトもその中に入っていたから,《イェロー・キッド》はハーストの新聞に登場することになる。対抗したピュリッツァーは,別の漫画家ラックスGeorge B.Luksを雇って〈イェロー・キッド〉をかかせたので,黄色い服の人気者は二つの新聞で宣伝され,マス・ペーパーのありようを象徴するシンボルとなった。ウォードマンErvin Wardmanが,〈イェロー・プレス〉と命名し,《サン》紙のダナらがイェロー・ジャーナリズムといういい方を広げ,定着させたとされるが,ハースト,ピュリッツァーの新聞は,金権による無数の愚行を重ねながら新聞を大衆読物として社会の底辺にまで下降させた。イェロー・ジャーナリズムという悪口には,保守派からするエリート主義の反発も混じっている。
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百科事典マイペディア 「イエロージャーナリズム」の意味・わかりやすい解説

イエロー・ジャーナリズム

スキャンダル,センセーショナリズムを売物にするジャーナリズムをさげすんでいう言葉。1890年代のアメリカで行われた,ピュリッツァーの《ニューヨーク・ワールド》とハーストの《ニューヨーク・ジャーナル》との間の激烈な競争からこの言葉が生まれた。《ワールド》は日曜版に黄色の服を着た少年〈イエロー・キッド〉の漫画を掲載して人気を得ていたが,ハーストは漫画家も含めてそのスタッフを引き抜き,自分の新聞に〈イエロー・キッド〉の漫画をのせた。ピュリッツァーも別の漫画家に〈イエロー・キッド〉をかかせたので,2つの新聞で黄色い服の少年が宣伝された。部数拡大を至上目標として大衆に迎合するマス・ペーパーのあり方を,こうして黄色が象徴することになった。→赤新聞
→関連項目新聞ニューヨーク・タイムズペニー・ペーパー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イエロージャーナリズム」の意味・わかりやすい解説

イエロー・ジャーナリズム
yellow journalism

新聞が,扇情的な記事などを使って読者の関心をひき発行部数を伸ばそうとする行為。 1890年代にアメリカのニューヨークで,ピュリッツァー系の『ワールド』紙とハースト系の『ジャーナル』紙が演じた激しい部数拡張競争を表すことばとして用いられた。『ワールド』は当時すでに,派手な色使い,きわもの的な記事,政治や社会の不正糾弾などで成功を収めていた。『ジャーナル』はこれに対抗するため,同様の紙面構成をとる一方,『ワールド』で人気まんが「イエロー・キッド」を連載していたまんが家を引き抜いた。『ワールド』は新しいまんが家を雇って連載を継続,この両紙のつばぜり合いが,イエロー・ジャーナリズムということばを生んだ。この争いは両紙の発行部数を飛躍的に増大させ,全米のジャーナリズムに影響を与えたが,20世紀に入ると下火となった。日本でも戦後の一時期隆盛した。イエロー・ジャーナリズムの手法は,全面抜きの大見出しやカラーまんが,イラストの掲載といったかたちで今日まで使われ続け,テレビやインターネットでは一般的なものになっている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イエロージャーナリズム」の意味・わかりやすい解説

イエロー・ジャーナリズム
いえろーじゃーなりずむ
yellow journalism

扇情的な記事とはでな見出しを使い、低俗な興味を誘う報道をいう。1890年代のニューヨークで、ピュリッツァーの『ワールド』紙とハーストの『ジャーナル』紙が報道合戦を演じ、人気のあった色刷り漫画『イエロー・キッド』を作者(R・F・アウトコールト)ごと奪い合うほか、セックス、スキャンダル、犯罪を書き立てて部数競争を行ったことから、この種の新聞は「イエロー・ペーパー」とよばれるようになった。両紙の競争は、スペインのキューバ植民地支配についても、事実を曲げ、事件を捏造(ねつぞう)するなど激化し、アメリカ・スペイン戦争(1898)を誘発する一因となったといわれた。センセーショナリズムと同意。

[小松原久夫]

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世界大百科事典(旧版)内のイエロージャーナリズムの言及

【新聞】より

…それがピークに達したのは,19世紀末の二つのアメリカの新聞,ピュリッツァーJoseph Pulitzerが1883年に買収した《ニューヨーク・ワールドNew York World》と,ハーストWilliam Randolph Hearstが95年に買収した《ニューヨーク・ジャーナルNew York Journal》両紙の間にくりひろげられた激しい競争であった。これらの新聞は〈イェロー・ジャーナリズムyellow journalism〉と呼ばれた。
[社会主義国の新聞]
 ロシアでは多くの合法・非合法の社会主義新聞が発行され,1912年には日刊の《プラウダPravda》が,17年にはペトログラードの労働者・兵士代表ソビエトの機関紙《イズベスチヤIzvestiya》が創刊された。…

【新聞】より

…それがピークに達したのは,19世紀末の二つのアメリカの新聞,ピュリッツァーJoseph Pulitzerが1883年に買収した《ニューヨーク・ワールドNew York World》と,ハーストWilliam Randolph Hearstが95年に買収した《ニューヨーク・ジャーナルNew York Journal》両紙の間にくりひろげられた激しい競争であった。これらの新聞は〈イェロー・ジャーナリズムyellow journalism〉と呼ばれた。
[社会主義国の新聞]
 ロシアでは多くの合法・非合法の社会主義新聞が発行され,1912年には日刊の《プラウダPravda》が,17年にはペトログラードの労働者・兵士代表ソビエトの機関紙《イズベスチヤIzvestiya》が創刊された。…

【連載漫画】より

…その猛烈な生命力が人気を得て,新聞も部数を伸ばした。黄色いインクをまちがって印刷工がたらしたために〈黄色小僧〉(イェロー・キッド)とあだ名され,やがてハースト系新聞に買われたが,このことからはでな記事で売る新聞を〈イェロー・ジャーナリズム〉と呼ぶようになった。新聞連載漫画という形式は,ほとんどの新聞の活用するところとなり,創始者が死んでも助手が引き継ぎ,半世紀を超える生命を保つ現代の英雄創造の場となった。…

※「イエロージャーナリズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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