イグレシア・ニ・クリスト(その他表記)Iglesia ni Cristo; INC

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

イグレシア・ニ・クリスト
Iglesia ni Cristo; INC

フィリピンで生まれた国際的なキリスト教教派。1914年フェリクス・イサグン・マナロによって創始された。21世紀初頭の時点で 100ヵ国以上に信者抱え,信者数はフィリピン国内で 300万人以上,国外でも数千人に及ぶと推定されている。教義イエス・キリストの神性を否定するユニテリアン派に属し,三位一体を否定,イエスは神に選ばれた息子ではあるが,神ではないとしている。「最後の審判」を説き,聖書で禁じられているように,動物の血を用いたフィリピンの伝統料理などを食べることを厳しく戒めている。本部はフィリピンのケソンシティー。マナロはカトリックの家庭に生まれ育ったが 10代でカトリックから離れ,20代にかけてメソジスト派セブンスデー・アドベンティストなどに籍を置いたのち,原初のキリスト教会(→原始キリスト教)への回帰を説くようになった。最初はマニラに教会を創設し,まもなくフィリピン全土で布教活動を展開した。教義では,マナロは『ヨハネの黙示録』に登場する「東から来た天使」とされる。1914年7月27日,マナロはアメリカ植民地政府に教会設立の登録をしたが,その翌日に第1次世界大戦が勃発したことで,教義が信者の間で信頼を勝ち取っていった。第2次世界大戦ののち,教会監督としてのマナロの指導のもと,教派は急速な成長を遂げた。1963年マナロが死亡し,教会監督の地位を息子のエラーニョ・マナロが継承,在外フィリピン人への伝道に力を入れた。教派は富を拡大し名声を高め続け,選挙に際して信者に組織的な投票を指示することでフィリピン政界に強い影響力をもった。2009年には,教会の創立記念日である 7月27日がフィリピンの国民の休日に制定された。

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

イグレシア・ニ・クリスト
Iglesia Ni Cristo[タガログ]

1914年7月27日にフィリピンでフィリピン人マナロFelix Manaloにより創立されたキリスト教会。英語の正式名称はChurch of Christ。創立者マナロを〈神の最後の使い〉と規定する独自の教義をもち,この教会の信徒となる以外に救いはあり得ないとする立場を堅持している。第2次世界大戦以前にはルソン島を中心とする小集団にすぎなかったが,戦後急激な教勢の拡大を達成し,50年末にはほぼフィリピン全土に進出した。63年には創立者の死去ともない,息子のエラーニョ・マナロが監督の地位を継承し,独自の教義を保持しつつも多方面での社会奉仕活動を開始した。68年以後は海外のフィリピン人移民社会でも積極的な伝道を行っている。70年現在でフィリピン国民の1.3%にあたる47万5407名を信徒としており,フィリピンではカトリック教会フィリピン独立教会に次ぐ教勢を有する。
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世界大百科事典(旧版)内のイグレシア・ニ・クリストの言及

【フィリピン】より

…これはスペインの遺産であって,各町に教会が置かれ,人々はここで毎週日曜日にミサをあげ,洗礼,婚礼などの人生の主要儀礼を行う。しかし,同じキリスト教徒でもそこにはローマ・カトリック(85%),プロテスタント(3%),フィリピン独立教会(4%),イグレシア・ニ・クリスト(キリストの教会,1%)などの派がみられ,別々の教会で別々の儀礼を執り行う。残る7%の人口のうち4~5%がイスラム教徒で,南部を中心に約250万人を数える。…

※「イグレシア・ニ・クリスト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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