デジタル大辞泉 「最後の審判」の意味・読み・例文・類語
さいごのしんぱん【最後の審判】[絵画]
ミケランジェロの絵画。バチカン、システィナ礼拝堂に描かれたフレスコ画。世界の終末に際してキリストが再臨し、人々を裁くようすが描かれている。
世界の終末において,神が人類の罪を審(さば)くという聖書に独自な思想で,旧約聖書と新約聖書とで,それぞれ共通な面とともに相違もある。旧約聖書においては時代によって変遷があり,初期には,罪を犯した者に対して直ちに罰が下され,その審きが後代にまで続くことが述べられている程度である。後代になるとしだいに〈審きの日〉の思想が生まれてくるが,それも最初はイスラエルの敵に対してだけ襲うものであるとされた。預言者の時代になると,審きはイスラエルの敵ばかりではなく,イスラエル人に対しても向けられたものと理解される。それは〈主の日Day of the Lord〉と呼ばれ,恐るべき審判の時である。しかしそれが最後ではなく,〈終りの日〉には主の恵みが支配することが告げられる。黙示文学ではこの両者が結合され,〈最後の審判〉は普遍的なものであって,メシアの到来とともにすべての者に対する審きが行われるが,それは真実な神の支配が行われるための審きであるゆえに,救いをも意味するものとされた。
新約聖書における〈最後の審判〉の思想は,黙示文学の影響を受けつつも,これとは根本的な相違がある。すなわち,ここでは審判というものをキリストを規準として理解しているのであり,人が審かれるかどうかは,その人がキリストを正しく受け入れているかどうかにかかっている。彼を〈救い主〉として認め,生涯をこれにゆだねる者にとって,〈審きの日〉は同時に〈救いの日〉である。新約聖書においても審きは将来のことという面が継続されているが,しかし同時にそれはすでに現在始まっているという理解がある。キリストの到来とともにそれは始まっている。そうして彼の十字架の死は,最も端的な形での審きである。しかし,彼が死から復活したことによって,審きは同時に赦(ゆる)しとしての意味を持つことが明らかにされた。今や〈最後の審判〉は単に恐るべき日ではなく,救いの実現の日となったのである。
→終末論
執筆者:川村 輝典
キリスト教美術における〈最後の審判〉の図像の起源は,すでに4~5世紀から現れるさまざまの象徴的,寓意的な作例にさかのぼる。まず,世界の終末の恐怖は,《ヨハネの黙示録》4章による獅子・牛・人・鷲の四つの生物および24人の長老たちに取りかこまれ,御座(みくら)に座すきびしい神の姿(ローマ,サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ教会のモザイクなど)に〈最後の日〉の審判者を象徴させ,その後,中世を通じて行われるが,ことにロマネスク時代にその作例は多く,すぐれた大構図を生んでいる(フランス,モアサックの彫刻,12世紀初め)。また,寓意的作例としては,《マタイによる福音書》25章32~33節の〈羊飼い,羊とヤギとを左右にわかつ〉図(ラベンナ,サンタポリナーレ・ヌオボ教会の一モザイク,6世紀)があり,後に西ヨーロッパで〈審判図〉に伴ってしばしば取り上げられる〈賢き処女と愚かな処女〉(《ロッサーノ福音書》の写本画,6世紀)があるが,しかし,この時代,すでに直接にこの主題を取り扱った〈最後の審判〉図の試みが東方で行われていたことは,コスマス・インディコプレウステスの《キリスト教地誌》(バチカン所蔵写本)の中の一図によってうかがいうる。簡単な構図で,最上段にキリスト,次段に天使群,第3段に使徒群,最下段には小さくよみがえった人々(頭部のみ)が階段式に配列されている。この4者がその後の〈審判図〉の基本要素で,主として《マタイによる福音書》の記述によっている(19:28,24:29~31,25:31以下)。ところで,この図の上3段は〈キリスト昇天〉図にも共通で,《使徒行伝》1章11節に見られる天使の言葉によって,昇天のキリストは審判のキリストを予見させるというから,両者に密接な関係があるのは当然である。昇天図の下辺に,よみがえった人々(《コリント人への第1の手紙》15:52)も小さく付加して,この原始的な審判図は形成された。これに後になって必要な要素,すなわち十字架,大天使ミカエル,善人の群れと悪人の群れ,天国,地獄などが加えられ,中央高所に君臨する審判者キリストを中心に構図を作って,本格的な〈最後の審判〉図像が実現される。
このような審判図像について,その主となった典拠が《マタイによる福音書》によるものと,《ヨハネの黙示録》20章によるものとの2者に大別され,さらに2者の混合したものがあらわれる。このような本格的審判図像の成立は9~10世紀ごろとされ,東ヨーロッパ(東方教会)は《ヨハネの黙示録》を主とし,西ヨーロッパは《マタイによる福音書》を主とし,それぞれ別個の図像を形成している。しかし審判図像は,東ヨーロッパではむしろ例外的なものとして取り扱われているのに対し,西ヨーロッパではメロビング朝,カロリング朝時代から終末思想が重要視され,ゲルマン人の神話伝説とも結びついてその思想は強く人々を支配し,これを具体化する努力が行われて,最初の西ヨーロッパ的審判図がゲルマニア地方で形成された。文献上では9世紀のザンクト・ガレン修道院の例が知られ,遺例では10世紀末のライヘナウのオーバーツェルの教会堂壁画,11世紀のブルクフェルデンの教会堂壁画,《ハインリヒ2世の黙示録》の挿絵があげられ,その特徴は,簡潔明白で,前述した4要素,すなわち審判者キリスト,天使群,十二使徒,裁かれる人々のほか,〈人の子の表徴〉である大きな十字架が加わり,よみがえる人々がいっせいに石棺の中から起きあがる場面が添えられている。また,らっぱを吹く天使,簡単な地獄の表現が加わる。
12世紀初めに刻まれたオータンやコンクなどのフランスのロマネスク教会堂の大彫刻も,上述のゲルマン的図像の基本に従い,構図を複雑にし,怪奇な要素を加えて,神秘化につとめるが,パリ郊外のサン・ドニ修道院教会の正面彫刻(1140)において〈最後の審判〉はふたたび明確な段階的配置に復帰し,これがその後,シャルトル,パリ,アミアン,ブールジュなどゴシック大聖堂正面中央のタンパンに刻まれる〈最後の審判〉図像の先駆をなした。審判者キリストは胸と手のひらの傷あとを示して座し,かたわらに天使たちが十字架のみならず,棘(いばら)の冠,はりつけの槍,釘を示し,さらに聖母と福音記者ヨハネが審判者に慈悲を祈る。次段に十二使徒が座し,第3段目は,中央に魂を秤にかける大天使ミカエル,その左右に善人の群れと悪人の群れ,その下には石棺からよみがえる人々を刻み,その左右には天国と地獄がつづく。天国は戸の前に鍵を持つペテロ,なかにはアブラハムが膝に善人の魂をかたどる小さな人間3人をのせる。地獄は大きな獣口でかたどられ,そのなかで醜い鬼たちが悪人たちを苦しめる。この獣口は《ヨブ記》41章によるリバイアサンで,記述どおりに目から火花をちらし,鼻孔から煙をだして,煮えたぎる釜のありさまを示そうとする。また,タンパンの大構図を囲んで,半円輪状に天使群から預言者たち,殉教者たち,聖女たちがならぶ。〈最後の審判〉図像は,このような13~14世紀の教会堂正面彫刻に最も典型的な表現を示している。
この西ヨーロッパ的図像はイタリアにも伝えられ,11世紀のサンタンジェロ・イン・フォルミスの壁画がその適例であるが,同じ世紀に作られたトルチェロ島の〈最後の審判〉(モザイク)は東ヨーロッパ的審判図像に属している。それは複雑な神秘的な表現をとり,審判者の足もとから火の川がほとばしり出て,地底の坑(あな)のような地獄につらなり,そこで地獄の王ハデスは竜に座し,アンチキリストを抱いて,悪人たちをむかえ,下の火の坑には悪人たちが苦しんでいる。復活も奇怪な場面で,空の怪鳥,大地の怪獣,水の怪魚がそれぞれ口から人間をはきだす。そのほか,審判の御座や天空を巻物のように巻きとる天使,キリストの両側で祈願する聖母とバプテスマのヨハネ,魂を秤にかける大天使ミカエル,天国に魂をむかえ抱くアブラハムなども東ヨーロッパ的図像の要素である。この影響は上述した西ヨーロッパの諸例にも散見するが,イタリアに著しく,ジョットのパドバの壁画でも,基本的には西ヨーロッパ的であるが,その影響がうかがわれる。イタリアではダンテの《神曲》などの反映を示して,しだいによみがえった人々や地獄,天国の場面を豊富にし,また現実感を加え,ミケランジェロはシスティナ礼拝堂の壁画に,中世的な階段構図をやめ,審判者らを中心に,左下から上り,右下に下る旋回構図をとる11群の人物大群の圧倒的表現力をもって,この主題を近代化している。
執筆者:吉川 逸治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
現世界の悪が究極的に神によって審(さば)かれるという「最後の審判」の思想は、古くはゾロアスター教や古代イスラエルの預言者にみられる。ゾロアスター教においては、究極的に悪神およびそれに率いられる悪霊は善神アフラ・マズダーに征服される、と信ぜられるが、とくにゾロアスターの没後3000年を経て、彼の子孫から救世主が出現し、彼によって最後の審判が、死者も含め全人類に行われ、悪はすべて滅ぶ、といわれる。古代イスラエルにおいて「その日」というのがあって、元来「救いの日」として楽観的に考えられていたが、前8世紀の預言者アモス以降、それは恐るべき審判の日と解釈され、宗教的、倫理的罪ゆえに過酷きわまりない神の審きが地上に行われると告げられた。続くユダヤ教の黙示文学においては、神による最後の審判は神話的表象をもって描かれ、怪物や獣などによって表象される神に背く勢力は、最終的に打ち負かされ滅びに至る。イスラム教において、最後の審判の日には、天変地異を伴い、すべての人々やジン(鬼神)が審判の座の前に召集され、各人の言行が秤(はかり)で量られ、「嘉(よみ)された者」には右手に、永劫(えいごう)の罰を受ける者には左手に、それぞれ生前の行為が記された書が手渡されるという。
このような最後の審判の思想は、人間の社会生活が複雑になり、とくに倫理的な矛盾が容易に解釈しえなくなるとき(たとえば義人が苦しみ、悪人が栄えるがごとき)、そのような矛盾の究極的止揚として、社会倫理的色彩の濃い、しかも直線的歴史観をもつ宗教に現れるものである。それゆえ、「最後の審判」の神話的もしくは思弁的内容のみならず、その思想の果たす社会倫理的機能にも注目すべきである。
キリスト教においても、最後の審判の思想はユダヤ教から受け継がれ、キリストの再臨のときと結び付けて語られる(たとえば「ヨハネ黙示録」)。しかしキリスト教に特徴的な審判思想は、罪なき神の子イエス・キリストが、十字架上で罪人の身代りとして神の審判を身に受けたという点である。人間は神の子のこの審判のゆえに、もはや罪を許されて審かれることなく、永遠の生命を与えられる、というのである。
[月本昭男]
キリスト教美術において、審判者イエス・キリストを中心に死者のよみがえり、義人と罪人の選別、天国および地獄などを上下左右に配したいわゆる最後の審判図は、9世紀ないし10世紀以降に登場する。もちろんそれ以前にも、たとえば羊と山羊(やぎ)を選別するキリストといった象徴的な審判図はあったが、「福音書(ふくいんしょ)」(マタイ、24~25章)および「ヨハネ黙示録」を典拠とする壮大な審判図は、ビザンティン美術において写本挿絵や教会壁画が示すように、9世紀から10世紀にかけて準備され、11世紀に定型化したものとみなされている。西ヨーロッパの中世美術では、10~11世紀の明らかにビザンティン美術の影響下に制作されたものはさておき、12世紀以降のロマネスクおよびゴシック美術のティムパヌム(破風(はふ)の三角壁)彫刻にしばしば最後の審判図が認められるようになる。
ジョットやフラ・アンジェリコをはじめとするイタリア・ルネサンス期の画家たち、メムリンクやションガウアーなどの北方ルネサンスの画家たちも多くの作品を残しているが、この時期の最大の傑作は、ミケランジェロが1541年にバチカンのシスティナ礼拝堂に描いた最後の審判図であろう。
[名取四郎]
『O・クルマン著、前田護郎訳『キリストと時』(1954・岩波書店)』
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
キリスト教の神による人間の審判。私審判(死の直後)と公審判(世の終り)があり,後者を最後の審判と呼ぶ。美術上の好題材として作品が多く,ミケランジェロのシスティナ礼拝堂の天井画が最も有名である。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
… 34年,フィレンツェから最終的にローマに移り住み,残る30年の生涯を教皇庁関係の仕事に費やす。35年新教皇パウルス3世は彼にシスティナ礼拝堂祭壇側の壁に《最後の審判》の壁画制作を命じ,老齢にさしかかっていたにもかかわらず,41年彼は独力でこの大画面を完成した。この作品はそれまでの絵解き的な《最後の審判》図とは異なり,正義の精神が骨肉を備えたごときたくましいイエス・キリストが,雷を投げるゼウスを思わせる激しい身ぶりで審判を下し,そのまわりには人間的苦悩をたたえた悪人たちや威厳を備えた善人たちが,バロック美術を予告する激しく旋回する構図と強烈な明暗によって描き出されている。…
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[美術と文学における地獄の主題]
西洋で地獄が造形芸術の対象となるのは中世以後で,キリスト教以前の多神教時代の遺品には地獄を主題とした見るべき作品はほとんどない。中世キリスト教美術では,〈最後の審判〉図の中に審判者キリスト,大天使ミカエル,善人と悪人の群れとともに天国と地獄の図を表現することが行われ,ロマネスクとゴシックの教会堂西正面のタンパン浮彫にその例を見る。ダンテの《神曲》以後,地獄を主題とした美術作品が多くあらわれるようになるが,これらは中国や日本の現実的な地獄描写と異なり,残酷さを強調せず,むしろ絵画または彫像としての独自の芸術性を追求している。…
…そこで罪は身体的なものと精神的なもの,具体的なものと抽象的なものという両極をもつが,P.リクールが《悪の象徴論》(1960)第1部で論じるように,高次のものは低次のものを含み,これを象徴化しているといえる。さらにこの書の第2部が扱う原罪と〈最後の審判〉という観念があるが,これらは歴史の始めと終りのできごととして何ほどか神話的表現を避けられない。罪は存在の限界をなすといってよく,創造の否定たる死と無につらなっている。…
…ユダヤ教についてみれば,ユダヤ教徒が天国を神の定めた律法にかなった正しい人の死後の世界と考えるようになったのは前3世紀から前2世紀にかけてのことであり,この時期にメシアの支配をめぐる天国の観念がユダヤ教の教師(ラビ)によって体系化されていった。その結果,生前正しく生きた人は,パラダイスで神との生活に入るよう定められるのに対し,悪しき人は,死後行われる〈最後の審判〉において,肉体の死に続いて魂の死という第2の死を経験し,永遠の苦悩にさいなまれるという思想が民衆の間に固定化していった。 ユダヤ教の流れをひくキリスト教には,こうした天国の思想が当然色濃く反映しているが,しかし,それとは違った新しい解釈が新約聖書の著者たちによって表出され,全体としてユダヤ教とは異なる独自の観念が展開されている。…
… キリスト教では,罰は神の権威によって下された。旧約聖書では律法に対する違犯は律法にもとづいて罰せられるとしたが,新約聖書では,とくに〈最後の審判〉のときに神によって下される永遠の刑罰が重要視された。またインドでは,一般に業(ごう)(行為,カルマン)の理論と因果応報の観念が成立することによって,現世における悪しき行為はそれにふさわしい報い(罰)をうけるという考えが発達し,それが世俗法(《マヌ法典》)と宗教法(仏教の〈律〉)に影響を与えた。…
…これら二つの二元論的見方は互いに関連している。すなわち,今の世では罪人が支配し,義人は苦難を強いられているが,終末に際し神により〈最後の審判〉が行われ,両者の運命は逆転し,悪人は滅ぼされ,義人は新しい世での至福の生活に入れられる。なお,終末時にはすでに死んでいた義人が復活して永遠の生命を与えられる,ないしは,義人も罪人も皆復活して審判を受けるとされる。…
※「最後の審判」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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