イギリスの小説家,劇作家。チェシャーのハイ・レーンに生まれた。16世紀からの名家の出で父は第1次大戦で戦死。1914年グレシャム・スクールに入りW.H.オーデンと知り合う。ケンブリッジ大学を中退して職を転々とし,28年処女作《陰謀家たち》を発表,翌年からヒトラー政権成立直前までベルリンに滞在した。33-37年にかけてヨーロッパ各地を旅行し,オーデンと《F6登攀》(1936)ほかの劇を合作したが,38年にはオーデンとともに日中戦争下の中国を旅行し,帰国後第2次大戦を予想した合作《前線にて》(1938)を発表した。39年アメリカに移住し東洋哲学に興味を持つとともに,第2次大戦後は南米旅行記《コンドルと牝牛》(1949),小説《夕暮れの世界》(1954)などを発表している。しかし彼の最もすぐれた仕事は,カメラアイという映画的手法でヒトラー政権直前のベルリンを描いた《山師》(1935),六つの短編小説の連作から成る《ベルリンよさらば》(1939)で,特に映画《嵐の中の青春》をはじめ,何度か映画化・劇化されている。
執筆者:鈴木 建三
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イギリスの小説家。1930年代の「オーデン・グループ」に属する唯一の散文作家。代表作にはヒトラー政権出現前のベルリンを舞台にした『ベルリン物語』の名でよばれる三部作『ノリス氏汽車を乗り替える』(1935)、『サリー・ボウルズ』(1937)、『ベルリンよ、さらば』(1939、邦訳名『救いなき人々』)がある。ほかにオーデンと合作で数編の実験的詩劇と日中戦争従軍記を書いた。第二次世界大戦勃発(ぼっぱつ)後、オーデンとともにアメリカに移住、『シングル・マン』(1964)などの小説の創作のかたわら、ハリウッドの映画の脚本も執筆した。
[沢崎順之助]
『中野好夫訳『救いなき人々』(1952・文芸春秋)』
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…すでに詩集《演説家たち》(1932)は,マルクス的社会分析とフロイト的精神分析をないまぜにして武器としていた。C.イシャウッドとの合作詩劇《皮をかぶった犬》(1935)や《F6登攀》(1936)では,ドイツ表現主義の手法を実験的に試みている。群衆から隔絶した孤独な英雄(飛行士や登山家)に憧れ,風刺や言葉遊びに才能を発揮し,そして詩集《見よ,旅人よ》(1936)では,何よりもすぐれた恋愛詩の作者であった。…
※「イシャウッド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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