韻文を用いた演劇。演劇において詩的言語が散文的言語に先行したことは,歴史が証明している。演劇の母体が祈禱(朗誦)や舞踊を伴った宗教的祭儀,つまりリズミカルな音声言語の語られる場にあったことを思えば,これは当然といえよう。ディオニュソス祭儀に由来するギリシア悲劇(ギリシア演劇)も,中世キリスト教会の神事の展開としての聖史劇,秘跡劇も,そして寺社に所属して祭礼のおりに芸を演じた猿楽師たちの後身である観阿弥,世阿弥の能も,すべて詩劇である。散文が演劇の主たる言語になるのは,西欧近代以後のことである。
ギリシア演劇の衰退ののち,ローマ時代は代表的悲劇作家セネカを得るが,彼の詩劇は祝祭性を失って,ほとんど〈レーゼドラマ〉(上演よりも読書のための戯曲)に近づいている。中世に入ってほとんど勢いを失った演劇は,聖史劇,道徳劇,笑劇として復活,ルネサンス時代にはめざましい開花を遂げる。その頂点をなすW.シェークスピアの数多くの傑作劇もその表現形式であるいわゆる〈ブランク・バースblank verse〉(弱強五歩格の無韻詩形)と不可分である。詩的高揚のみならず,きわめて論理的・散文的思考の表現にも適したこの詩形を,彼は完璧に使いこなした。同時代スペインのローペ・デ・ベガやカルデロン・デ・ラ・バルカ,ルイ14世時代,いわゆる〈古典主義〉の時代のP.コルネイユやJ.ラシーヌも,輝かしい詩劇を作った。この黄金時代のあと衰微した詩劇の復興を図ったのはロマン派詩人たちだった。J.W.ゲーテ,J.C.F.シラー,G.G.バイロン,V.ユゴー,それに壮大な祝祭としての楽劇を夢みたW.R.ワーグナーも,ここに加えられよう。現実にはH.イプセンやA.チェーホフの散文リアリズム演劇が主流になってゆくのが近代演劇の歴史であるが,それに抗して,世紀末以後絶えず詩劇の復興が試みられてきたことも忘れてはならない。S.マラルメの《イジチュールIgitur》はあまりにもレーゼドラマであるとしても,W.B.イェーツ,H.vonホフマンスタール,P.クローデル,T.S.エリオット,W.H.オーデン,J.ジロードゥーなどの詩劇は現代演劇の重要部分をなしている。日本では,能や歌舞伎という世界に冠たる詩劇の伝統が,明治維新以後,創造的に継承されることはなかった。わずかにバイロンの影響下に書かれた北村透谷の《蓬萊曲》,森鷗外の《玉篋両浦島(たまくしげふたりうらしま)》,幸田露伴の《有福詩人》などがあるのみである。
執筆者:高橋 康也
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poetic dramaの訳語。詩(韻文)形式の台詞(せりふ)による演劇。狭義には韻文劇をさすが、今日では詩的内容と情緒をもつ散文劇をも広く含める。古代のギリシア劇をはじめ、エリザベス朝のシェークスピア劇にみられるブランク・バースblank verse、フランス古典主義時代のラシーヌらのアレクサンドランalexandrinなど、戯曲は本来韻文形式であったが、近代に入るとしだいに散文劇が増えて、19世紀には主流となり、韻文劇は劇場から追放された。第一次世界大戦後は、近代リアリズム演劇の行き詰まりから詩劇が見直され、復活をみた。イギリスの詩人T・S・エリオットは詩劇の復興を提唱し、『寺院の殺人』(1935)、『カクテル・パーティ』(1949)などで実践し、C・フライらが後を追った。日本の現代戯曲では、加藤道夫の『なよたけ』(1946)のように詩的幻想味豊かな詩劇もあるが、福田恆存(つねあり)が『明暗』(1956)で、各行に七つのストレス(強音部)を置く定型詩劇の試みを行っている。
[藤木宏幸]
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