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イスクラ Iskra

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イスクラ
Iskra

1900年 12月,レーニンが国外で創刊した,ロシアにおける最初の全国的なマルクス主義地下運動新聞。イスクラは「火花」を意味し,プーシキンに対するシベリア流刑中のデカブリストの憧憬的な答辞「火花から炎は燃上がる」からとられた。当初,編集部は「新世代」のレーニン,L.マルトフ,A.N.ポトレソフ,「旧世代」の G.V.プレハーノフ,P.B.アクセリロード,V.I.ザスーリッチで構成された。 03年7~8月ロシア社会民主党第2回大会で党中央機関紙に指定され,レーニンも編集委員に選出されたが,11月委員会をメンシェビキに占拠され,それ以後は彼らだけの機関紙となった。したがって,03年 11月同紙 52号以降のイスクラを新イスクラといって,それ以前のレーニンが統制していた頃のものと区別している。 05年 12月 (第 112号) まで続いた。

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百科事典マイペディアの解説

イスクラ

1900年ジュネーブ亡命中のレーニンらが創刊したロシア社会民主労働党の機関紙。1903年党のボリシェビキ派とメンシェビキ派への分裂により,レーニンらは脱退して1905年《フペリョード》などの機関紙を創刊し,《イスクラ》はメンシェビキの機関紙として1905年まで継続した。
→関連項目プレハーノフマルトフ

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世界大百科事典 第2版の解説

イスクラ【Iskra】

ロシア社会民主労働党の機関紙。〈火花〉の意。デカブリストをたたえたプーシキンの詩にA.I.オドーエフスキーがこたえた詩の一節〈火花から炎が燃え上がるだろう〉から採られた。内外の修正主義の登場に危機感を抱いたレーニン,A.N.ポトレソフ,マルトフが,これと闘うために計画し,労働解放団と協力して1900年末ライプチヒで非合法に発刊した。新聞をロシアに持ち込み配布する協力者グループの組織や配布網の整備を通じ,イスクラ派は党内最大勢力となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イスクラ
いすくら
Искра Iskra 

革命的マルクス主義者の最初の全ロシア的な非合法新聞。イスクラ(火花)の名は、デカブリストがプーシキンに与えたことば、「火花から炎は燃えあがる」からとられたものである。最初の編集委員はレーニン、マルトフ、ポトレソフАлександр Николаевич Потресов/Aleksandr Nikolaevich Potresov(1869―1934)のほか、「労働解放」団のプレハーノフ、アクセリロード、ザスーリチ。創刊号は1900年12月にライプツィヒで、2号以下発行地はミュンヘン、ロンドン、ジュネーブと移った。平均発行部数8000。レーニンは創刊号掲載論文で、ロシアにおけるマルクス主義政党の創立の重要性を説き、全国的新聞の思想的、組織的必要性を主張した。03年のロシア社会民主労働党第2回大会に際しては、ボリシェビキ的な党の綱領と規約を準備して決定的役割を果たした。03年11月、メンシェビキの手に編集が移り、52号以降05年112号まで発行された。[木村英亮]

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世界大百科事典内のイスクラの言及

【機関紙】より

…歴史的には社会主義党派の機関紙が最も多く論じられてきた。古典的にはレーニンがロシア社会民主労働党の機関紙《イスクラ》の発行を理論づけた論文が知られる。ここに単一の強固な党の建設と機関紙配布者網を通じて同調者を獲得し,影響を広めていくという機関紙の原型ができあがった。…

※「イスクラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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