イブンハルドゥーン(英語表記)Ibn Khaldūn

デジタル大辞泉 「イブンハルドゥーン」の意味・読み・例文・類語

イブン‐ハルドゥーン(Ibn Khaldūn)

[1332~1406]アラブ歴史家歴史哲学者。チュニジアの生まれ。その著「歴史序説」は、文明の興隆・発展・衰退の過程を明らかにした独特の歴史観で有名。

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精選版 日本国語大辞典 「イブンハルドゥーン」の意味・読み・例文・類語

イブン‐ハルドゥーン

  1. ( Ibn Khaldūn ) チュニジア生まれのアラブ系の歴史家。主著「歴史序説」。(一三三二‐一四〇六

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改訂新版 世界大百科事典 「イブンハルドゥーン」の意味・わかりやすい解説

イブン・ハルドゥーン
Ibn Khaldūn
生没年:1332-1406

イスラム世界を代表するアラブの歴史家。チュニス生れ。祖先は南アラブ系でセビリャの支配貴族であったが,13世紀半ばにチュニスに亡命した。幼くして諸学を修めた後,北アフリカ,イベリア半島の諸スルタンに仕え,波乱万丈の政治生活を送ったが,その悲哀を感じて隠退するとともに,膨大な《歴史序説al-Muqaddima》と世界史に当たる《イバルの書Kitāb al-`ibar》を著した。1382年,マムルーク朝下のカイロに移住し,学院の教授になったり,マーリク派の大カーディーとして裁判行政に尽くしたりしたが,その間,ティムールの西アジア遠征に対する防衛軍に加わり,ダマスクス郊外でティムールと会見したことがある。彼を有名にしたのは,《歴史序説》に書かれた社会理論のためで,彼は人間社会を文明の進んだ都会ḥaḍrとそうでない田舎としての砂漠badwに分け,そこに住む人間は生活環境の違いから,後者のほうが前者よりもより強力な結束力をもつ社会集団を形成しやすく,そこに内在する連帯意識アサビーヤ)が歴史を動かす動因となる。遊牧生活を送っている連帯集団は支配権への志向をもっていて,やがて発展し都市に根拠を置く支配国家を征服,新しい国家を建設する。しかし都会に生活の場を置いたこの集団は,文明の発展とともに連帯意識を喪失,やがて新たな連帯集団に征服される。彼は以上のような理論を展開するとともに,政治・社会・経済の諸要因の鋭い分析を行っている。彼のこのような思想は,後世の学者たちに少なからず影響を与えたようで,彼の講義を直接聴聞したマムルーク朝時代の学者たちの中でも,歴史家マクリージーに最も強く認めることができる。しかしマムルーク朝の滅亡とともに,イブン・ハルドゥーンの存在もアラブ世界では忘れられた。彼の思想や歴史観が再評価され出すのは16世紀末以降のオスマン朝下で,19世紀にいたるまで,学者や政治家たちがなんらかの影響を受けた。もっとも彼の社会理論を凌駕するような思想をもつ真の意味の後継者は現れなかった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イブンハルドゥーン」の意味・わかりやすい解説

イブン・ハルドゥーン
いぶんはるどぅーん
Ibn Khaldūn
(1332―1406)

イスラム世界最大の歴史家。チュニスに生まれ、諸学を修めたのち、北アフリカ、スペインの諸スルタンに仕え、波瀾(はらん)万丈の政治生活を送ったが、隠退して膨大な『歴史序説』と世界史にあたる『イバルの書』を著した。その後マムルーク朝下のカイロに移住し、マーリキー学派の大法官として裁判行政に尽くしたが、たまたまティームールの西アジア遠征に対する防衛軍に加わり、ダマスカス郊外でティームールと会見した。

 彼を有名にしたのは『歴史序説』に書かれた社会理論のためである。彼は人間社会を、文明の進んだ都会と、そうでない田舎(いなか)としての砂漠とに分ける。そこに住む人間は生活環境の違いから、後者の方が前者よりもより強力な結束力をもつ社会集団を形成しやすく、そこに内在する連帯意識(アサビーヤ)が歴史を動かす動因となると説く。この点、砂漠の遊牧生活を送っている連帯集団は支配権への志向をもっていて、機会に恵まれると発展し、都市に根拠を置く支配国家を征服、新国家を建設する。しかし都会に生活の場を置いたこの集団は、文明の発展とともに連帯意識を喪失し、やがて新たな連帯集団に征服される。彼は以上のような歴史理論を展開するとともに、政治、経済、社会の鋭い分析を行っていて、マムルーク朝やその後の歴史家たちに大きな影響を与えた。

森本公誠]

『森本公誠著『人類の知的遺産22 イブン=ハルドゥーン』(1980・講談社)』『森本公誠訳『歴史序説』3巻(1979~87・岩波書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イブンハルドゥーン」の意味・わかりやすい解説

イブン・ハルドゥーン
`Abd al-Raḥmān ibn Khaldūn

[生]1332.5.27. チュニス
[没]1406.3.17. カイロ
アラビアの歴史哲学者。生地で仕官したがその異才ゆえに同僚のねたみを受け,1362年グラナダに渡り,65年アフリカに戻って牢獄や僧院での生活を織込みつつ各地を転々とした。メッカ巡礼でカイロのスルタンに見出されて 84年その宮廷に入り,大法官にまでなった。 1400年シリア遠征軍に加わり,またチムール (帖木児)とも何度か会見した。アラビア世界の衰退期に生きた彼は,歴史的事象の内面を掘下げ,歴史哲学の祖といわれる。 1375~78年に書かれた主著『教訓の書』 Kitāb al-`Ibarはイスラム史4巻とベルベル族の歴史2巻に『序説』 al-Muqaddima1巻を冠した7巻の大著。この序説において彼は史学を文明の学とし,広い視野の社会認識に基づいて歴史展開の型をとらえ,社会の基盤としての連帯意識を洞察した。その斬新な方法論と深い直観は,19世紀に西欧世界に紹介されて脚光を浴び,A.トインビーは彼の著書を最も偉大な史書としている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イブンハルドゥーン」の解説

イブン・ハルドゥーン
Ibn Khaldūn

1332~1406

アラブの歴史家。チュニスの生まれ。法学を学び,カーディー(法官)および政治家として活躍した。のち政界を引退し,3部作の世界史『イバルの書』を著したが,歴史発展の法則を述べたものとして有名な『世界史序説』は,この書の第1部であった。50歳のときエジプトに移り,マムルーク朝に仕えてカイロのカーディーに任命され,この地で没した。

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百科事典マイペディア 「イブンハルドゥーン」の意味・わかりやすい解説

イブン・ハルドゥーン

アラブの歴史学者。チュニス生れ。1384年以後マムルーク朝に仕え,1401年シリア遠征に従軍,ティムールとの和平交渉に努力。以後著述に専念し,《イバルの書》《歴史序説》という大著を著した。後者の歴史哲学は遊牧民と定住民との関係を軸に国家・文明の興亡を説くもので,後世の学者に強い影響を与えた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「イブンハルドゥーン」の解説

イブン=ハルドゥーン
Ibn Khaldūn

1332〜1406
イスラーム世界最高の歴史哲学者
チュニス生まれのアラビア人で,グラナダのナスル朝ほか諸王朝に仕えた。1401年当時仕えていたエジプトのマムルーク朝の軍に従ってティムール軍と戦い,ダマスクスで捕虜となった。ティムールにその学識を称賛されて釈放され,カイロで余生を送り,遊牧民と定住民の交替の中に歴史の発展法則をとらえた『実例の書』を著した。特にその序説が『世界史序説』として有名。

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世界大百科事典(旧版)内のイブンハルドゥーンの言及

【アラビア科学】より

…それはアラビア世界が東西から政治的に圧迫されつつも,なおその科学文化の最後の光芒を放つ晩期である。この時期を代表する学者として3人をあげれば,イブン・ルシュド(ラテン名アベロエス)とナシール・アッディーン・アットゥーシーイブン・ハルドゥーンであろう。イブン・ルシュドは,12世紀にアリストテレスの著作の全貌がようやく西欧世界にわかりかけてきたときに,すでに膨大なアリストテレス注釈を書き,ラテン世界にアベロエス派なるものをつくり出して甚大な影響を与え,近代科学思想の形成に大きく貢献した。…

【織工】より

…こうした状況は職人たちに大きな不安を生み,1378年にはフィレンツェではチョンピの乱が起こり,最下層労働者が短期間ではあるが市政に参加する権利をかちとったのである。【阿部 謹也】
[中東]
 14世紀の歴史家イブン・ハルドゥーンは《歴史序説》のなかで,織物技術を二つに分けて理解する。一つは糸紡ぎと機織,もう一つが裁縫術である。…

【旅】より

…他の学問においても,各地の評判の高い学者を訪ね教えを乞うことは盛んに行われた。14世紀の歴史家イブン・ハルドゥーンも,学問の研鑽の最高の方法は,各地の偉大な学者から教えを乞うために旅をすることだと述べている。多くのウラマーにとって,学問を求める旅は特別のことではなく,普通の生活の一部となっていた。…

【歴史】より

…ギリシア語の史書がアラビア語に翻訳された事例はないが,時間と空間との両軸において未知の広い世界を探ろうとする試みは,明らかにギリシア的精神を継承する。マスウーディーも歴史についての抽象的な考察を行っているが,一歩進めて歴史発展の法則性を探ろうとしたのがイブン・ハルドゥーンで,大著《歴史序説》を残した彼は前近代における世界で最も独創的な歴史家といわれる。
[伝記と年代記の伝統]
 他方イスラム教徒は,預言者ムハンマドの範例・慣行(スンナ)をその伝承(ハディース)の研究を通じて知ろうとした。…

※「イブンハルドゥーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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