歴史哲学という語は18世紀にボルテールによって使われはじめたといわれるが,概括的にいうと少なくとも三つの語義で流布している。
(1)一種の普遍史として 世界の歴史の個々の局面ではなく,その全体の展開を包括的に展望しようとする認識的態度。それはすなわち人類の普遍史であり,たとえばヘーゲルの晩年の講義〈世界歴史の哲学〉をその重要な実例とみなすことができる。この包括的展望は,なんらかの形で,壮大な全体的過程において実現され理解される人間的意義の認識をも含んでおり,そのかぎりではアウグスティヌスをはじめとするキリスト教神学の伝統を継承するとも考えられる。
(2)歴史の認識論,科学論として 世界歴史の事実認識や意味洞察はいかなる条件のもとで真に学問的な認識として承認されうるのかということへの理論的反省。この傾向は,特に自然認識に定位しつつ発展してきた近代哲学の範囲内ではさけることのできない反省である。実証的歴史科学がその実証的な探究と叙述とにおいて依拠せざるをえない〈論理〉の独自な妥当性を基礎づけることが,その本質的な課題となる。ここでも具体的な一例に,ディルタイがその究明に努めつづけた〈精神諸科学における精神的世界の形成〉というテーマをあげることができる。
(3)歴史存在論として 歴史科学が対象として取り上げる諸現象は,いわばそれよりも早く,それ自身〈歴史的なるもの〉として人間に経験されて,歴史的性格を欠く諸現象からさまざまな明確度において判別されているはずである。そのような歴史の諸現象の根源的経験を解明し,そこで経験され,そしてやがては歴史学の対象となりうるものごとが本来そなえている歴史性とはいかなる事態であるか。この歴史性と人間的実存の根源的連関はどうなっているか--これがここでの問題であり,かつ上記二つのアプローチに優先する問題である。さらにまた,哲学的思索が歴史哲学をこの次元で展開するとき,そこにはもうひとつの深化が含意されていることを認めざるをえない。すなわちこの深層に立ち入ると,〈歴史〉は体系的哲学の数ある諸部門(たとえば自然哲学,芸術哲学,宗教哲学など)と同列の一部分であるだけではなく,むしろ哲学的な反省と思索のもっとも根源的な動機となっている,ということである。哲学は,とりもなおさず,そして何よりもまず,歴史哲学なのである。このようなモティーフは,たとえば上にあげたヘーゲルの〈世界歴史の哲学〉やディルタイの〈精神諸科学における精神的世界の形成〉という思索努力のなかにも,明示的にではないが,すでに暗黙のうちにはたらいている。歴史哲学の問題をこの次元にまでおしすすめた実例に,ハイデッガーの《存在と時間》をあげることができる。
ここで注意しなくてはならないのは,このような問題圏の深化につれて,〈歴史〉という概念も本質的な変容をこうむらずにはいないということである。ここでは歴史という現象があらゆる哲学的現象の中枢におかれるが,それは(1)および(2)において〈自然〉または〈宗教〉と並立的に区別された意味における歴史ではありえない。かりにいたるところでこの語を同一の水準で用いるとすれば,いま(3)に掲げた課題は哲学の擬似問題のひとつとなり,そのような〈歴史〉をすべての思想の中心にすえる考え方は,あやまてる擬人化,主観的な歴史主義という批判をまぬがれることができなくなる。そしてたとえば主観主義的歴史主義の歴史哲学を例にとると,芸術作品や宗教的信仰(すなわち或る根本的な意味で歴史的変動を超えて永遠を目ざす現象)をも,ただ時間的時代的に変遷する〈歴史〉の所産なり反映なりとしてしか許容しえない狭隘な歴史哲学の水準に転落することになる。本当の意味で哲学の中心問題として見据えられた歴史は,芸術や信仰の永遠性を頭から否定するものではないのである。むしろこの〈永遠なるもの〉への窓をそなえていればこそ,人間存在の歴史性が十分な意味において明らかになり,ただ移ろいゆくにすぎないようにみえるものごとの真実と意義深さをあらわにすることができ,認識と洞察にそれの標的を告げ知らせることもできるのである。
過去の歴史時期にそれぞれ固有の特質を認め,それぞれの時期に特有の事象連関を開披してみせるこの歴史観は,すべてを無差別に相対化し,ひいてはイデオロギー化する危険な傾向があると指摘されてきたが,それは形式論理的な短見にすぎない。この短見はすべてを現代的基準によって支配し管理する傲(おご)りに陥るが,そのような観点からみれば,歴史はいかなる意味でももはや歴史ではなくなっているからである。なぜならこの傾向が徹底的におしすすめられるところでは,人間的世界の歴史はたんなる自然現象のひとつとして処理されるか,あるいは現代の高峰へ登りつめるために余儀なくされた発展の前段階として征服されてしまうからである。このようにして,(1)と(2)がかろうじてとらえていた歴史哲学の固有の問題圏も,実は(3)の広範な問題にいつも迫られつづけることによって,その本旨をとげるのである。
→歴史 →歴史主義
執筆者:細谷 貞雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
歴史に対する哲学的考察のことで、その内容は哲学と同じように多様であるといわざるをえない。古くはアウグスティヌスの『神の国』(5世紀初め)から始まるとみなされても、歴史哲学ということばが18世紀なかばボルテールの『一般歴史考』(1756)で初めて用いられたといわれるように、近代的な意味での歴史哲学はやはり18世紀後半以降のものであろう。歴史哲学は普通大別して、(1)歴史形而上(けいじじょう)学、思弁的歴史哲学、実質的歴史哲学などとよばれるものと、(2)歴史方法論、歴史論理学、形式的歴史哲学、歴史認識論などとよばれるものに分けられる。前者は、歴史の存在面というか、歴史のできごとや過程、その意味や価値に対して、後者は、歴史の認識面というか、歴史学のあり方とか歴史的説明の論理などをめぐって、哲学的反省を深めようとするものである。
第1種の歴史哲学は、18世紀にはボルテール、チュルゴー、コンドルセなど啓蒙(けいもう)思想の系譜において進歩史観として打ち出され、カント以後いわゆるドイツ観念論のうちに深められて、ヘーゲルという最大の思弁的歴史哲学を生み出すに至る。この系統とは別に、18世紀初めにビコがあり、ヘルダーに至る道も忘れてはならない。さらに19世紀は、一方ではマルクスの唯物史観という、いまなお人類史に大きな影響を与えている歴史哲学を生み、他方ではコントに代表されるような実証主義的な歴史哲学が形づくられる。19世紀の偉大な歴史哲学は、ヘーゲル、マルクス、コントとそれぞれ大いに異なるにせよ、発展段階説という共通の性格を示している。ところが20世紀となると、シュペングラーをはじめソローキン、クローバー、トインビーなど、歴史の発展ではなく歴史の循環なり没落なりを強調する歴史観が登場する。
第2種の歴史哲学は、歴史学および歴史主義の進展が一定の反省期にさしかかった19世紀後半に生まれた。一方、新カント主義を中心としてリッケルトなど歴史学の認識論的基礎づけが求められたが、この系譜にM・ウェーバーの方法論も連なっている。他方、ディルタイなどの生の哲学が歴史認識の了解的な構造を明らかにしようとした。この系譜は、イタリアのクローチェ、イギリスのコリングウッドへと展開する。ところが、このようなコリングウッドの観念論的な立場を批判するところから、ポッパーなど論理実証主義的な歴史理論が提起されたのである。歴史哲学は本来人類史の危機や転換期に直面してその課題にこたえることを求められて構築されるが、それだけ今日混迷の度も深いといわねばならない。
[神川正彦]
『ヴィーコ著、清水純一・米山喜晟訳『世界の名著33 新しい学』(1979・中央公論社)』▽『ヘーゲル著、武市健人訳『歴史哲学』全三冊(岩波文庫)』▽『クローチェ著、羽仁五郎訳『歴史の理論と歴史』(岩波文庫)』▽『ウェーバー著、富永祐治・立野保男訳『社会科学方法論』(岩波文庫)』▽『コリングウッド著、小松茂夫・三浦修訳『歴史の観念』(1970・紀伊國屋書店)』▽『ポッパー著、市井三郎・久野収訳『歴史主義の貧困』(1961・中央公論社)』▽『ドレイ著、神川正彦訳『歴史の哲学』(1968・培風館)』▽『ウォルシュ著、神山四郎訳『歴史哲学』(1979・創文社)』▽『市井三郎著『哲学的分析』(1963・岩波書店)』▽『茅野良男著『歴史のみかた』(1964・紀伊國屋書店)』▽『神山四郎著『歴史入門』(講談社現代新書)』▽『神川正彦著『歴史における言葉と論理』Ⅲ(1970、71・勁草書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
歴史の意味,目的についての哲学的省察。アウグスティヌスやヴィーコにすでにみられるが,「歴史哲学」の語はヴォルテールに由来する。近代では特にドイツで発展,ヘーゲルにおいては歴史は自由実現の過程であると同時に絶対精神の自己展開であるとされ,マルクスは歴史は階級闘争の過程であり,社会主義革命により無階級社会が実現されるとした。ヨーロッパの歴史哲学にはキリスト教的救済論の色彩が強いが,イスラーム世界にはイブン・ハルドゥーンの社会哲学的・文明論的歴史哲学がある。なおヴィンデルバント,リッケルトなど19世紀末ドイツの「新カント派」の哲学者たちは,法則定立的な自然科学に対し,歴史学は個性記述的であるとして,歴史学の独自性を主張,歴史主義の哲学的基礎づけを行った。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…ヘーゲルは,家族,市民社会,国家という人倫の3段階を区別して,国家の実体性が個人に分有され,個人に国家理念が臨在する相互媒介的・動的連関を〈理念〉と呼ぶ。理念の内実は,個人と国家との調和であるが,それをヘーゲルは〈地上における神の足跡〉と考えて,歴史における理性の内在という歴史哲学を樹立する。〈普遍者の現実化〉という概念がヘーゲル哲学の中心になる。…
…そうした作業のなかから取り出された問題として,たとえば,物語分析の基本となる単位をどう設定するかとか,各単位の間にある相互関係の特性をどのようにして記述するかとか,語り手と語られる内容の関係をどうとらえるかといった問題がある。 もうひとつの注目すべき物語論は,やはり1960年代以降,とくにアメリカとドイツの歴史哲学の分野で議論されているものである。自然科学と人文・社会科学の方法を対比した場合,自然科学とは異なる対象を扱う人文・社会科学に固有の方法とは何であるのかという問題は,19世紀以来,さまざまの角度から論じられてきた。…
※「歴史哲学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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