マクリージー(読み)まくりーじー(英語表記)al-Maqrīzī Taqī ad-Dīn

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マクリージー」の意味・わかりやすい解説

マクリージー
al-Maqrīzī, Abū al-`Abbās Aḥmad ibn `Alī Taqī al-Dīn

[生]1364. カイロ
[没]1442.2.9. カイロ
マムルーク朝時代のアラブの歴史家。カイロとダマスカスで,裁判官,ハーキム・モスクの長,アシュラフィーヤ学院,イクバーリーヤ学院の教師をつとめたのち,著作生活に入った。主要著書にエジプトの地誌の伝統を確立した『新領土と遺跡との物語によって説いた教訓と経験』 al-Mawā`iẓ wa al-I`tibār fī Dhikr al-Khiṭaṭ wa al-Āthār,アイユーブ朝とマムルーク朝の年代記である『諸王朝の知識の旅』 Kitāb al-Sulūk li-Ma`rifa Duwal al-Mulūk,『社会の救済』 Ighātha al-Ummaがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マクリージー」の意味・わかりやすい解説

マクリージー
まくりーじー
al-Maqrīzī Taqī ad-Dīn
(1364ころ―1442)

エジプトを中心としたマムルーク朝時代の歴史家。カイロに生まれ、裁判官、市場監督官、教師となり、のちにダマスカスに移り、病院の管理や教師に任ぜられた。カイロに戻ってからは著述に専念した。彼の著作は多岐にわたっていると同時に、師イブン・ハルドゥーンの影響を受けた透徹した歴史観があることに価値がある。代表作には、14~15世紀、黒死病(ペスト)や飢饉(ききん)によりエジプトが荒廃したことを嘆き、エジプトの歴史や地誌に関する研究の集大成を目ざした『地誌と遺跡の叙述による警告省察の書』があり、そのほかアイユーブ朝とマムルーク朝の年代記『諸王朝の知識の旅』などがある。

[菊池忠純]

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