改訂新版 世界大百科事典 「ウォロフ王国」の意味・わかりやすい解説
ウォロフ王国 (ウォロフおうこく)
西アフリカの現在のセネガルの地に,14世紀ころから16世紀半ばまで存在した古王国。現在はセネガルをおもな居住域とするウォロフWolof族も,その祖先はかつてのガーナ王国,つまり現在のモーリタニアからマリにかけて多く住んでいた。11世紀ころ,ムラービト朝によってイスラム教がもたらされると,それを嫌ってセネガルへと南下したものと思われる。口誦伝承によると,部族としてまとまりをもったウォロフ族の始祖はヌジャージャン・ヌジャイという人物とされ,彼以降,国の統一が進んだ。その時期は12世紀末から14世紀の間と推定される。14世紀以降,ジョロフ王国,つまりウォロフ族の王国が存在していたことは,ポルトガル人旅行者の記録によっても確かめられる。ブールと称される王のもとに,貴族,戦士,自由農民,鍛冶師・木工師・皮細工師・機織師・語部などの専門職人,そして奴隷民を擁する階層社会が形成されていた。ヌジャージャン・ヌジャイ以降,12人のブールが統治したというが,16世紀半ばジョロフ王国は分裂し,おのおの独自の王をいただくワーロ,カヨール,バオルなどの王国を生んだ。それ以降,王国間で覇権争いが繰り返されたが,フランス人植民者がセネガルに来て後,18~19世紀にかけてまで,おのおのは王国としての機能を果たしていた。特にカヨール王国の最後の王ラット・ジョールは19世紀半ばから20年以上にわたって激しい反仏抵抗をしたことで知られている。各王国の王はイスラム教には冷淡だったようで,ウォロフ族の多くが改宗するのは18~19世紀以降のことである。
執筆者:小川 了
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報