ブール(その他表記)bourg

翻訳|bourg

デジタル大辞泉 「ブール」の意味・読み・例文・類語

ブール(George Boole)

[1815~1864]英国の数学者。代数学を使って論理的推論を展開するブール代数を完成、記号論理学の基礎を築いた。また、不変式論を確立した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ブール」の意味・わかりやすい解説

ブール
bourg

ラテン語のブルグスburgusに由来するフランス語で,ドイツ語のブルク,英語のバラboroughに対応する。西欧中世の集落史上特異な性格をもつ。それは既存の都市的・農村的集落の近くに,修道院や城を核として形成された〈付属集落〉であるとともに,ローカルな商品流通の拠点としての〈市場集落〉でもあった。

 西欧におけるブールの伝播は,8~9世紀ころからソーヌ,ローヌ,ロアールという三つの川の流域に始まり,10~11世紀には北部,南部とフランスのほとんど全域に広まり,さらにイタリアや北スペインにも伝播していった。イングランドでは,9世紀後半のアルフレッド大王の時代に,フランスからの影響とはかかわりなく,〈特権的な都市〉としてのブルフ(バラ)が数多く存在していた。ネーデルラントやドイツ帝国領では,ブルクは集落というよりも〈城砦〉ないし〈城館〉という古い意味で用いられていたから,新たに建設された市場集落を表すにはポルトゥスportusとかウィクWikという言葉が用いられていた。しかし,これらの地方でも11世紀末から12世紀にかけて,〈ブルグス〉という言葉も併用されるようになった。初期のブールは,伝統的な都市的中心であるキウィタス(シテ)の近傍に,道路や川に沿う交通の要地に,修道院などを中心として建設され,初めは木柵,やがては石の城壁を周囲にめぐらした。したがって,いずれかといえば都市的な郊外集落で,中世都市がふつう〈シテ〉と〈ブール〉という二元構造をとるのもこのためである。11世紀から12世紀にかけ,大開墾運動の初期的段階で,農業コロニー的な性格の農村ブールが急増するが,これは地域的には西フランスに限定される。シテとブールの二元性は,地誌的・経済的・政治的対立が著しかった場合は別として,12世紀の中ごろには解消の方向にあり,都市の地誌的一元化が進む。それとともに,かつては〈ブールの住民〉を意味していたブルジョアも,〈都市の住民〉という意味に変化する。都市のコミューン運動がこれと連動し,ブルジョアは未解放の農村の住民と対比される〈都市の自由民〉ともみなされるようになった。
執筆者:


ブール
André-Charles Boulle
生没年:1642-1732

ルイ14世時代に活躍したフランスの著名な家具師。彼は指物師の息子としてパリに生まれ,素描,彫金,指物などの技術を学び,1664年ころに独立,大蔵大臣コルベールによる〈パリで最も有能な家具師〉との推挙により,72年ルイ14世の王室家具師に任ぜられた。この時以来つねに王室とくにベルサイユ宮殿の家具を製作した。ブールの名声が拡大するにつれて,フランスはもとより,スペインのフェリペ5世やバイエルン選帝侯など外国王室からの注文も絶えなかった。ブールの家具デザインは,前代までの建築意匠に従属した地位から脱して,自立した芸術的意匠を表現したことと,黒檀の黒地にシンチュウ,べっこう,貝殻などを象嵌し,神話,草花模様,アラベスク,唐草などのモティーフを表現した〈ブール象嵌Boulle marquetrie〉で家具を装飾した点に特色がみられる。1708-09年ベルサイユ宮殿グラン・トリアノンのルイ14世の寝室用に製作したコモード,ルーブル美術館蔵の衣装戸棚とバイエルン選帝侯のための机などは彼の代表作である。ブール様式の家具は18世紀を通して製作されたが,19世紀中ごろの第二帝政時代に再び人気を博した。
執筆者:


ブール
George Boole
生没年:1815-64

イギリスの数学者。リンカンで生まれ,父親は靴直し職人をしていたが,数学好きであり,商売が思わしくなくなって図書館の管理人になったことなどから,ブールは図書館の蔵書を利用して独学で数学を学ぶようになった。1840年ころから数学の論文を発表するようになり,44年にローヤル・ソサエティの賞を受けた。49年にはアイルランドのコークに設立されたクイーンズ・カレッジの教授になり,57年にはローヤル・ソサエティ会員に選ばれた。数学的業績は微分方程式論,不変式論,数理論理学などにわたるが,特記すべきことは,ブールとド・モルガンとが論理代数と呼ばれる分野の創始者とされていることと,論理演算の場としてブールが導入したものにブール代数の名がついていることである。著書に《論理学の数学的分析》(1847),《思考法則の探求》(1854)がある。
執筆者:


ブール
Hermann Buhl
生没年:1924-57

オーストリアの登山家。インスブルックに生まれ,小さいときからチロル,ドロミテなどで登山をおこない,1948年フライシュバンクの南東壁,50年マルモラーダ南西壁冬季,52年ピッツ・バディレ北東壁登攀などヨーロッパ・アルプスの困難なルートの多くを単独で登攀した。53年K.M.ヘルリヒコファーの率いる登山隊に参加,ナンガ・パルバットに単独で初登頂。57年カラコルムのブロード・ピークに4人の隊で初登頂に成功した。その帰途にチョゴリザで雪底を踏み抜き遭難死した。自伝的記録《八千米の上と下》があり,単独登攀の精神はのちの登山家に多くの影響を与えた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブール」の意味・わかりやすい解説

ブール(George Boole)
ぶーる
George Boole
(1815―1864)

イギリスの数学者。リンカーンの靴職人の子として生まれた。父は教養が高く、子供にいろいろな語学を教えた。ブールは16歳から4年間、小学校の補助教員を勤め、20歳ごろから数学を独学した。彼は貧民の出身であったことから、イギリスの著名な大学の教授にはなれず、コークのクィーンズ大学教授として一生を終わった。

 数学上の仕事としては、1841年、初めて代数的不変式論の基礎を築いた論文を発表した。その後、微分方程式や定差方程式についても大きな貢献をした。1854年、大著『論理と確率の数学的な理論の基礎になる思考の法則の研究』を刊行した。このなかで今日のクラスの論理を展開し、それが今日の「ブール代数」になった。B・ラッセルはブールの著作をみて「純粋数学はブールによって発見された」と、その仕事をたたえている。著作『微分方程式論究』(1859)、『定差法論究』(1860)の二つは名著として広く利用された。

[井関清志]


ブール(Pierre Marcelin Boule、人類学者)
ぶーる
Pierre Marcelin Boule
(1861―1942)

フランスの地質学者、古生物学者、人類学者。とくにヨーロッパのネアンデルタール人の研究で有名。トゥールーズおよびパリで地質学と古生物学を学び、のち古人類化石の研究を行った。1892年にフランス国立自然史博物館の助手となり、1902~1936年にわたって教授を務めた。ヨーロッパ、パレスチナイスラエル)、北アフリカの古人類を研究したが、1908年にラ・シャペル・オ・サン(フランス発見のネアンデルタール人)の骨格を復原、研究。その結果、ネアンデルタール人は、現代人に比べてきわめて原始的であることを強調したが、この見解はのちに否定され、逆に両者の近縁性が証明された。しかし、その著書『化石人類』は現在も重要な文献とされている。晩年にはフランス地質学会長となり、古人類研究所を設立し、学界に大きく貢献した。

[埴原和郎]


ブール(Hermann Buhl)
ぶーる
Hermann Buhl
(1924―1957)

オーストリアの登山家。インスブルックに生まれ、少年時代からチロール、ドロミーティなどで登山を行い、1948年フライシュバンクの南東壁、49年エギュイーユ・ブランシュ・ドプトレイ北壁、50年マルモラータ南西壁冬季、52年ピッツバデイレ北東壁などヨーロッパ・アルプスの困難なルートを多くの場合単独で登攀(とうはん)した。53年ヘルリヒコファーの率いる登山隊に参加、ナンガ・パルバトに単独で初登頂、57年カラコルムのブロード・ピークに4人の隊で初登頂に成功した。その帰りにチョゴリザで雪庇(せっぴ)を踏み抜き遭難死。自伝的記録の『八千米(メートル)の上と下』があり、孤高で激しい登攀の精神は後の登山者に多くの影響を与えた。

[徳久球雄]


ブール(Pierre Boulle、小説家)
ぶーる
Pierre Boulle
(1912―1994)

フランスの小説家。アビニョンに生まれる。パリ大学に学ぶ。技術者として東南アジアの農園経営にあたったのち、第二次世界大戦に参戦、ビルマ(現ミャンマー)などに転戦する。その経験から『戦場にかける橋』(1952)を書き、サントブーブ賞を受ける。エキゾチスムと白人中心の英雄主義にたつ数多くの冒険小説で成功を収め、一方、SFの形をとる一種の哲学小説『猿の惑星』(1963)の苦いまなざしももつ。

[小林 茂]

『関口英男訳『戦場にかける橋』(ハヤカワ文庫NV)』『大久保輝臣訳『猿の惑星』(創元推理文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブール」の意味・わかりやすい解説

ブール
Boole, George

[生]1815.11.2. リンカーン
[没]1864.12.8. コーク,バリンテンプル
イギリスの数学者,論理学者。ブール束 (ブール代数) として知られている代数論理学の創始者。正式の教育は地方の学校に2~3年通っただけで,数学はほとんどが独学であった。 16歳のときから村の学校で教えはじめ,20歳でイングランドのリンカーンに学校を創設。余暇を見つけてニュートン,P.ラプラス,J.ラグランジュらの著作を勉強し,1839年より代数学に関する論文を矢つぎばやに発表する。これが認められてコークのクイーンズ・カレッジの数学教授に就任 (1849) 。 57年にはロイヤル・ソサエティの会員に選ばれる。彼は論理学の代数的取扱いを行なった。ブール代数は現在コンピュータをはじめ多くの分野で応用されている。また,解析学に関する著作があり,教科書として長年使用された。主著『論理学の数学的分析』 (47) ,『思考の法則』 (54) ,『微分方程式論』 (59) ,『差分法』 (60) 。

ブール
Boulle, Pierre

[生]1912.2.20. アビニョン
[没]1994.1.30. パリ
フランスの小説家。 1936年ゴム園に職を得てマラヤ (マレーシア) に渡り,39年インドシナ戦争に参加,日本軍と戦う。その体験をもとにした『クワイ川の橋』 Le Pont de la rivière Kwaï (1952) は大成功を収め,『戦場にかける橋』として映画化もされた。ほかに短編集『不合理の物語』 Contes de l'absurd (53) に始る,幻想的,SF的発想とペシミズムに裏打ちされた風刺的作品があり,その代表作としては,やはり映画化された『猿の惑星』 La Planète des singes (63) がある。

ブール
Boule, Pierre Mercellin

[生]1861.1.1. カンタル,モンサルビ
[没]1942.7.4. カンタル,モンサルビ
フランスの考古学者。パリの国立自然誌博物館の教授として古生物学,旧石器時代研究を行うとともに,"L'Anthropologie"誌,『古生物学年報』の編集にたずさわった。さらに人類古生物学研究所所長として,グリマルディ人,ラシャペルオーサン人骨の研究もある。主著"Les grottes de Grimaldi" (1906~10) 。

ブール
Boulle, André-Charles

[生]1642.11.11. パリ
[没]1732.2.29. パリ
フランスの家具製作者。絵画と彫刻を学び,ルイ 14世の宮廷付き製作者として,ルーブル,ベルサイユでおもな仕事をした。フランス王族の宮廷用の家具をつくりヨーロッパ家具の一典型をつくった。赤や黒地に銅の象眼細工はブール細工とも呼ばれ,18世紀頃まで流行した。

ブール

「ブルク」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ブール」の意味・わかりやすい解説

ブール

英国の数学者,論理学者。1849年コークのクイーンズ・カレッジ教授。論理学に記号と演算を導入,いわゆるブール代数を創始。近代記号論理学の先駆者の一人となった。他に不変数,共変数を研究。
→関連項目ジェボンズ論理回路

ブール

オーストリアの登山家。1953年ヒマラヤのナンガ・パルバット登頂をめざすドイツ・オーストリア隊に加わり,7月3日超人的努力で単身初登頂に成功。1957年6月9日カラコルムのブロード・ピークに登頂,その帰路,チョゴリザで転落死した。自伝的記録《八千米の上と下》がある。

ブール

アフリカーナー

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典 「ブール」の解説

ブール【boule(フランス)】

フランスパンの一種。少し平たい球状で、280g程度。格子状の切り込みが上部に入る。半分の140g程度のものを「プティブール」という。◇「球」の意。⇒フランスパン

出典 講談社和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典について 情報

367日誕生日大事典 「ブール」の解説

ブール

生年月日:1924年9月21日
オーストリアの登山家
1957年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のブールの言及

【論理学】より

…(4)近・現代――近・現代論理学は記号論理学ともいわれる。記号論理学は早くも17世紀に,ライプニッツによってその口火がきられたが,実質上の成立は,イギリスの数学者兼論理学者であるG.ブールの著《論理学の数学的分析》(1847)においてである。ブールによる論理学の数学化・記号化の試みは,一方においてはブール代数という形でコンピューターの基礎理論にまで発展し,他方では記号論理学という形で現代最新の論理学にまで発展する。…

【象嵌】より

… 木工では,地となる木材と色の異なる黒檀や紫檀,あるいは象牙,貝殻,獣骨,金,銀などを嵌め込んだ小箱,テーブル,キャビネットなどの豪奢な家具類もルネサンス以降各地で製作された。17,18世紀はべっこうとシンチュウで切嵌め象嵌したフランスのA.C.ブールによる〈ブール象嵌〉の家具や,シノアズリーの流行で東洋的な花鳥をモティーフとし,宝石,真珠,紅玉,ラピスラズリ,黒檀などを用いた華麗なキャビネットやテーブルが製作された。 陶器では,黄色地もしくは褐色地に白土を象嵌して図像をあらわした中世の舗床用の象嵌タイルがイギリス,フランス,ドイツに多くみられ,また近世以降では16世紀フランスのサントンジュ地方サン・ポルシェールで焼かれた白土地に黒褐色で細かい連続文様を象嵌した〈アンリ2世陶器〉が知られる。…

【ナンガ・パルバット[山]】より

…ドイツ隊の数次にわたる試登では多くの人材が失われ,魔の山と呼ばれた。1953年にドイツ・オーストリア登山隊(K.M.ヘルリッヒコファー隊長)のH.ブールが単身で苦闘の末,初登頂に成功した。日本隊では83年富士山岳連盟が登頂。…

【ブルク】より

…築城権はもともと国王大権に属していたが,ほぼ11世紀から聖俗貴族も独自にブルクを築くようになり,13世紀後半になると,その動きは下級貴族にまで広がった。なお,古ゲルマン語に由来すると思われるラテン語のブルグスburgusは,初期中世には,おそらくその防備機能のゆえに都市ないし都市的集落(フランス語でブール)を指すのに用いられ,そこから,都市住民はブルゲンセスburgenses(ビュルガーBürger)=市民と呼ばれるようになった。ブール【山田 欣吾】。…

※「ブール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android