ウュルツブルク(英語表記)Würzburg

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウュルツブルク
Würzburg

ドイツ南東部,バイエルン州の都市。フランクフルトアムマインの南東約 100km,マイン川沿岸に位置する。 741年聖ボニファチウス (→ウィンフリード ) がここに教区を設定して司教の居地とし,その後フランケン地方東部を領地とした。司教ユリウス (1573~1617) のもとで発達,18世紀シェーンボルン家の諸司教のもとで市街の建設が進んだ。 1803年にバイエルンの一部となる。第2次世界大戦で大きな被害を受けた。周囲の丘はブドウ畑があるが,近年市街地化が進んでいる。工業には鉄鋼,自動車,製紙,印刷,エレクトロニクス,醸造などがある。ロマネスク様式の大聖堂 (1034) ,市庁舎などがあり,15世紀の石橋で結ばれた対岸にはマリエンベルク城 (1261~1720年の司教の館,現博物館) がそそりたち,W.レントゲンによるX線の発明を生んだウュルツブルク大学 (1582) がある。人口 13万3195(2010)。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウュルツブルク
うゅるつぶるく
Wrzburg

ドイツ中部、バイエルン州にある都市。人口12万8000(2000)。ビュルツブルクとも書く。マイン川の浅瀬に立地した集落から発展し、古くから王宮、司教座、大学の所在地で、フランケン地方の文化の中心地として知られてきた。南北と東西に走る、中世の重要な通商路の交差点であり、商業も発達した。とくに周辺はぶどう酒の産地で、その集散地として名高い。文化都市としての性格が強く、市内には当地を中心に活動したバロック建築家ノイマンの設計したドイツ有数のバロック様式の宮殿であるレジデンツ(世界遺産条約登録地)、ロマネスク初期の礼拝堂のあるマリエンベルク城塞(じょうさい)など、多くの歴史的建造物がある。これらのほとんどは、第二次世界大戦中の爆撃によって破壊されたが、昔のように再建された。工業はみるべきものがなかったが、1954年にマイン川に新港が建設されて以来、工業化も図られるようになり、伝統的な印刷業のほか電気機械部品、化学などの近代工業が発展してきた。[石井英也]

歴史

7世紀末、フランケン司教の聖キリアンがウュルツブルクで殉教し、その遺骨がマイン川右岸の地に埋められ、その上に司教座聖堂が建てられて、司教都市として発達した。1168年司教はフランケン公に叙せられる。1525年ドイツ農民戦争に際し、一揆(いっき)農民はマイン川左岸にある司教のマリエンベルク城を攻囲したが、落城せず、一揆崩壊の端緒となった。[瀬原義生]

世界遺産の登録

バロック建築様式のレジデンツ(司教館)とそれを取り囲む庭園および広場が1981年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「ウュルツブルク司教館、その庭園群と広場」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。[編集部]

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