ウラル系諸族(読み)うらるけいしょぞく(英語表記)Uralic Peoples

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウラル系諸族
うらるけいしょぞく
Uralic Peoples

ウラル語系の言語を使用している諸民族の総称とみてよいが、形質人類学上の人種や民族学上の種族(エスニック・グループ)を単位とした分類基準とはかならずしも合致するものではないことに注意すべきである。[菊川 丞]

人種的分類による特徴

人種的な分類からみると、ウラル系諸族は各特徴からだいたい次の六つぐらいのグループに分けられる。
(1)サーミ人。他のウラル系諸族とは異なった形質的な特徴をもっていて、ことに混血度の低いスカンジナビア半島北部では、平均身長が150センチメートル前後で短頭であり、毛髪も暗黒色が普通であった。
(2)バルト・フィン人。ウラル系諸族のなかでもっとも長身で、いわゆる白皙(はくせき)、碧眼(へきがん)、金髪といった北方ゲルマン的な形質が大勢を占め、ことにフィンランドやエストニア西部の住民の多くを他の北欧人と区別することはむずかしい。
(3)ボルガ・フィン人およびコミ人、ウドムルト人などはバルト・フィン人とオビ・ウゴル人との中間的な形質をもっていて、毛髪もブロンドないしは褐色である。
(4)オビ・ウゴル人。サーミ人に次ぐ短身で、毛髪、皮膚などの特徴もフィン系諸族とは違ってシベリア諸民族との混血を想像させる。
(5)マジャール人(ハンガリー人)。甚だしい混血の結果、いくつもの形質的特徴が検出されるために、決め手になるものがない。
(6)サモエード人。いわゆるモンゴロイド的な特徴からアルタイ諸族との関係を推測できるが、サーミ人などとの共通性も認められている。[菊川 丞]

民族学的な分類

民族学的な種族分類によれば当然、地域、言語、文化などの共通性に基づくものとみられるけれども、もともと言語の名称から出発しているので、それと重なり合うことが多い。そもそもウラル系種族といわれるように、彼らの原郷はユーラシア大陸をヨーロッパとアジアとに分かつとされるウラル山脈の西側の、ボルガ川、カマ川、オカ川、ベラヤ川などの流域の森林河川地帯とされ、狩猟、漁労、あるいは蜂蜜(はちみつ)や蜜蝋(みつろう)の採取、トナカイの飼育や農業などに従事しながら生活してきたことが知られている。今日ではサモエード人とオビ・ウゴル人以外はすべてウラル山脈の西のいわゆるヨーロッパ部分に、周りをインド・ヨーロッパ系やアルタイ系の言語を使う諸族に取り囲まれて暮らしており、相互に強い影響関係に置かれてきた。
 そのウラル系諸族は、もとのところでフィン・ウゴルとサモエードに分かれるが、フィン・ウゴルはそれぞれにフィン系とウゴル系とに大別される。そのうちフィン系の人々は、バルト海沿岸に達してフィンランド湾岸地帯に住み着いた西フィン(バルト・フィン)人とヨーロッパ・ロシアの北東部に広がる地域に居住している東フィン(ボルガ・フィン、ペルム)人とに分けられる。西フィン人のうち、フィンランド共和国の住民の大部分を占めるスオミ(フィン)人とフィンランド湾を隔てて向き合う形のエストニア共和国のエエステイ(エストニア)人はともに民度が高い。さらにフィンランドの東部、カレリア地峡に隣接するラドガ、オネガ両湖周辺でロシア・カレリア共和国を形成するカルヤラ(カレリア)人は北極海に面するロシアのアルハンゲリスク地方やエストニア東部の内陸ロシアのノブゴロド地方にも早くから住みついて、それらの名称でもよばれてきた。オネガ湖畔にカルヤラ人と混住しているベプス人、サンクト・ペテルブルグの南西、フィンランド湾岸のイスリ(イングリア)人やボート人、それにラトビア共和国のリガ湾口のクルゼメ(クールランド)半島突端部に、かつては栄えてその名を地名に残した、ごく少数のリーブリ(リボニア)人が住んでいる。またスカンジナビア半島北部のフィンランド、スウェーデン、ノルウェーからロシアのコラ半島にかけて住むサーミ人は形質的な差異だけではなく、言語的にもバルト・フィンの前の段階で分離したものと考えられている。東フィン人はロシアのモスクワ東部から東北方面のウラル山脈の麓(ふもと)にかけて点在し、はるか北極海にまで届く広大な地域を占めるコミ(ジリヤン)人、その南にウドムルト(ボチャーク)人、ペルミ人、その西のボルガ川中流にマリ(チェレミス)人とモルドビン(モルドバ)人が近くに住んでいて、それぞれに今日、ロシア内の当該共和国の主要な住民となっている。次にウゴル系は、東ウゴル(オビ・ウゴル)人たちがロシアのオビ川流域のハンティ・マンシ自治管区に散在して、ハンティ(オスチャーク)人はオビ川とエニセイ川の間、マンシ(ボグール)人はウラル山脈とオビ川の間に暮らしている。西ウゴルを代表するマジャール(ハンガリー)人は、ウラル系諸族のなかでもフィンランドやエストニアなどとともによく知られ、かなり強力な民族として1400万余の言語人口を擁して、中世以来の東ヨーロッパの歴史に大きく関与してきた。一方、サモエード諸族は、北方グループのネネツ(ユラク・サモエード)人、エネツ(エニセイ・サモエード)人、ガナサン(タウギ・サモエード)人と、南方グループのセルクープ(オスチャーク・サモエード)人とに分かれている。かつては南方グループに属していたカマシ(サヤン・サモエード)は近隣のチュルク人のグループに同化してしまった。[菊川 丞]

生活形態の違いと文化変容

ウラル系諸族はきわめて早い時期にインド・ヨーロッパ系諸族との接触をもって、文化的、経済的にさまざまな影響を受けてきたことが、その借用語の研究からも解明されている。一方、彼らの生活形態や社会組織などを、主として居住地域の生活環境の違いから、狩猟、河川漁労、半遊牧民の北方型と、定住農耕を主体とする南方型とに区別してみることができる。北方型にはサモエード、ハンティ・マンシ(オビ・ウゴル)、コミ、サーミなどが含まれる。サモエードやオビ・ウゴルは、オビ川とエニセイ川に挟まれたツンドラ地帯を中心にトナカイを飼育し、それを食料源から生活諸用具の供給、交通手段にまで利用してきた。コミについては、ジリヤンとして11世紀にノブゴロド公国に貢納したことで知られ、さらに、北西の白海(はっかい)沿岸に住み着いていた同系のカルヤラ人と南方のボルガル王国とをつなぐ、ウラル山脈を越えてシベリアやアジアに至る交易路を押さえてきたといわれる。すでに14世紀にロシア文字をもとにコミ文字を使用するなど、後には優れた詩人や学者を生んでいる。彼らは森林地帯に定住しながらトナカイ飼育と農耕生活を営んできた。またサーミの場合も、古くからスカンジナビアの農耕社会と接触することで、交易によって集約性の高い畜産が行われてきた。南方型にはボルガ川流域一帯に住むウドムルト、マリ、モルドビア(モルドバ)人たちや、フィンランド東部のカルヤラ、ベプス、スオミ(フィンランド)人たちから、沿バルト海東岸のインケリ、ボート、エエステイ(エストニア)人たち、そして東ヨーロッパの穀倉地帯の一角を占めるドナウ川、ティサ川平野のマジャール(ハンガリー)人などがあげられる。なかでもフィンランド、エストニア、ハンガリーなどでは農工業を基盤とする近代国家の担い手としての活躍が目覚ましく、優れた文化を築きあげてきた。しかしながら、旧ソ連邦の領域に相当する広大な各地では、多くのロシア人のなかで暮らすウラル系諸族の少数派は、スラブ系やチュルク(トルコ)系の人々との混血、同化も進み、生活言語の交替など、きわめて流動的な状態に置かれているのが現状である。したがって、言語の使用とその他の民族的な特徴とはかならずしも一致するものではなく、帰属意識もからんで複雑な問題を抱えているといえよう。[菊川 丞]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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