ロシア連邦中部、ブリヤーチア共和国の首都。1934年までベルフネウジンスクВерхнеудинск/Verhneudinskとよばれた。人口37万1400(1999)。バイカル湖へ流入するセレンガ川の右岸、支流ウダ川の合流点にある河港都市。モンゴル経由で北京(ペキン)に通じる鉄道がシベリア鉄道から分岐する駅で、自動車道の交点でもあり、空港もあって、交通運輸、貿易(とくにモンゴルとの間)の要地。機械製造(航空機、機関車・車両修理、造船、電機)、建設資材、ラシャ、靴、食料品(精肉、製粉、乳業)などの工業が盛ん。科学アカデミー支部や諸学校、博物館、劇場などがあって、教育、文化の中心地。起源は1666年建設の冬営所で、1689年に要塞(ようさい)(柵(さく))となった。1899年にシベリア鉄道が開通。1918~20年、反革命軍と日本軍が占拠。1920年4月~10月の間は極東共和国の首都。23年から58年までブリヤート・モンゴル自治共和国の首都。北海道留萌(るもい)市と姉妹都市。
[三上正利]
ロシア連邦東部,ブリヤート共和国の首都。人口35万2623(2004)。バイカル湖の東方75km,シベリア鉄道の沿線にあり,モンゴルに通ずる鉄道・自動車道の起点で,モンゴルとの貨客輸送の要衝として知られる。セレンガ川とウダ川の交流点にある河港でもあり,飛行場もある。1666年にコサックの越冬基地ウジンスクUdinskとしてはじまり,89年にできたベルフネウジンスク城塞の周辺に都市として発展した。19世紀の後半にはザバイカリエの一大商業中心地であった。1920年に極東共和国の首都,23年にブリヤート・モンゴル自治共和国の,58年にブリヤート自治共和国(現,ブリヤート共和国)の首都となる。機関車,ガラス,羅紗の各工場と肉製品コンビナートがある。獣医,教育など四つの大学のほか,科学アカデミーのブリヤート支部が置かれ,インド・チベット医学の研究も行われている。ブリヤート文化を継承する劇場,博物館などの施設も多い。1934年までベルフネウジンスクVerkhneudinskと呼んだ。
執筆者:山本 敏
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