エジプト科学(読み)えじぷとかがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エジプト科学」の意味・わかりやすい解説

エジプト科学
えじぷとかがく

エジプトに限らず古代オリエント全体の科学について共通するのは、呪術(じゅじゅつ)的、神話的、宗教的、実際的色彩が強く、客観的、合理的に自然を観察してそこから普遍的、法則的なものを引き出すという態度がほとんどみられなかった点であろう。これは、歴史の幼年期にありがちな、人々の経験の乏しさと、加えて知識階級が神官たちに限られていたことがその大きな理由であろう。だがそれにもかかわらず、彼らが生み出し保有した知識のなかには、法則性こそ乏しいが、客観的、合理的な知識が散在しており、科学の原点が潜在していることは間違いない。以下、古代エジプトの天文学、数学、医学、技術の分野について記述したい。

[平田 寛]

天文学

エジプト人は、澄み切った夜空の星々を眺めて彼ら独自の宇宙像を構想した。その代表的なものは、空の女神ヌトNutが天空を取り巻き、大地の男神ゲブGebが地上に横たわり、大気の男神シューShūが大地に足を踏まえて、両手でヌトを支えている構図である。そして太陽、月、星々はヌトの胴体に飾られている。これは非常に神話的な宇宙像であるが、その一方でエジプト人は、祭儀や農耕に不可欠な季節を定めるための実際的な天文観測を行い、暦をもっていた。彼らは、天の赤道に沿って幅広い帯を36等分し、その各帯にはもっとも目だつ星や星座を配した。そしてその出現が10日間(デカノス)で相次いで観測できるようにした。こういう星表はいくつかの墳墓の壁画に描かれている。こうして彼らは、最初は3デカノス(30日間)を1か月とする12か月、つまり360日を1年とした。ところがその後、シリウスが日の出直前に出現するころになるとナイル川が氾濫(はんらん)し、農業や生活に重大な影響を与えるところから、シリウスの日の出直前の出現を予知する必要が生じ、その結果、1年が365日であることを知り、360日に5日間の補足日(休日)を年末に追加した。

 エジプトの1日は夜明けから始まり、次の夜明け前までであった。そして昼間、夜間をそれぞれ12等分したが、その長さは春分、秋分を除いて季節によって変化した。つまり昼夜平分時法ではなく不定時法であった。というのも日時計が主たる測時法であったためで、水時計は補助的なものであった。日時計の目盛りは、春分・秋分と夏至・冬至、それらの間の時期に、それぞれ分けられていた。

[平田 寛]

数学

エジプト人のあの壮大な土木、建築からも察せられるが、彼らはかなり優れた数学知識をもっていた。現存する代表的な数学書としては、ほとんど完全な形で残っている『リンド・パピルスRindo Papyrusと、かなりの部分が失われている『モスクワ・パピルスMoskva Papyrusがあり、両者とも内容は第12王朝(前21~前18世紀)に由来しているという。『リンド・パピルス』では、大別すると算術、幾何学、算術雑題からなる。

 エジプトの数学は、分数はあるが2/3を除いて、すべて単位分数(分子が1)なので、加減乗除が複雑になる。『リンド・パピルス』でも、最初に2を奇数で割った分数表、基数を10で割る表などがあって、以下は方程式、比例、数列、体積、面積、三角法(その萌芽(ほうが))が応用問題として出されている。たとえば、パンやビールの分配、土地測量、穀物倉の容積計算、年貢、貴金属や動物の餌(えさ)の配分などがある。なかでも興味深いのは、細長い二等辺三角形の土地の面積の測量では、底辺と1辺を掛けて2で割っており(直角三角形の求積法)、円形の土地の面積では、直径からその直径の1/9を引いた残りを2乗している(円周率では3.16になる)。またピラミッドの斜面の傾斜角度は、ギゼーに現存のピラミッドの傾斜角に等しい。『モスクワ・パピルス』では、とくに注目をひく例題として、截頂(せっちょう)ピラミッド(いわば台形を立体化したもの)の体積の求め方がある。その解法を現代の記法で示すと、hを高さ、aとbをそれぞれ下底と上底の1辺の長さとすると

としている。ところが同じころ、バビロニアでは同じ形の体積を、結果は同じだが、

の方式で解いている。

[平田 寛]

医学

医学の起源は、どの民族や国家でも呪術的、宗教的要素が大きかったが、なかでも内臓の病気の場合にはそれが顕著である。古代エジプトの医学に関する文献としてもっとも重要なものは、紀元前16世紀に筆写された『エーベルス・パピルス』Ebers Papyrusである。そこには、治療効果を増すために唱える祈祷文(きとうぶん)または呪文(じゅぶん)、内臓や目、皮膚その他のさまざまな病気、婦人病、解剖と生理と病理の本質、外科の病気などが扱われている。ついで重要なのは『E・スミス・パピルス』E. Smith Papyrusで、これでは外科術に関する48例が注目に価する。その症例の順序は中世まで伝わった「頭からかかとまで」で、頭部から脊柱(せきちゅう)までの部分が現存している。そしてそれら各部位の診断では、外科手術は加持祈祷では治らないこともあって、治療が可能か困難か不可能かのいずれかが結論になっている。なお、解剖学的知識に関しては、ミイラを製作していたにもかかわらず、きわめて貧弱であった。おそらくミイラ製作師(下級の神官)と医師との間に交流がほとんどなかったためであろう。

[平田 寛]

技術

エジプトの技術作品は多方面にわたり壮大華麗なものが多いが、ここでは科学的な事柄と関係のあるものをいくつか述べてみる。初期の巨大なピラミッドをつくるための石材の運搬や引き上げに使用された機械は、当時は滑車車輪はなく、てこやローラー、綱のようなごく簡単なものであったらしい。そして動力は多数の人力であった。石材を積み重ねるには、土砂で緩やかな傾斜の土手をつくり、前記の簡単な道具類を使って引き上げたのではないかと想像される。

 エジプトのガラス製品は、先王朝時代からあったらしいが、第18王朝の初め(前1580ころ)までには大規模なガラス製造が行われ、その中期(前1465ころ)には高度な技術水準に達していた。しかし、ガラス容器のつくり方は粘土などの型どり法で、ガラス吹き法は、はるかに後世の紀元前1世紀のシリアで始まった。

 金属器具の材料として銅が最初に利用されたが、その時期はきわめて早い時期と考えられ、その発見は偶然からだという説が有力である。また銅と錫(すず)の合金の青銅の出現は、エジプトでは銅よりほんの少し遅れた。青銅は銅に比べ、色彩が美しく、いつまでもその色彩を保っている。堅牢(けんろう)で容器や器具、道具に適している。融点が銅(1083℃)よりも低い(約900℃)ので鋳造しやすいという利点があった。しかし、なによりも青銅が出現した意義は、人工の新しい金属をつくることができた点で、この技術は冶金(やきん)術とともに錬金術へと伝わり、さらに化学への第一歩を踏み出したのである。

[平田 寛]

『平田寛著『エジプトの科学的知識』(『世界考古学大系13』所収・1960・平凡社)』『平田寛著『科学の起原』(1974・岩波書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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