ルーマニアの国民詩人。モルドバ地方に生まれ,ウィーンおよびベルリンで哲学を学び,ショーペンハウアーの哲学に深い影響を受けた。帰国後ヤシの文学サークル〈青年派〉に参加し,その機関誌《文学対話》その他に生前65編の詩を発表した。しかし経済的には不遇で,貧窮に失恋の痛手も加わり,33歳で狂気の発作に襲われ,39歳で精神病院で生涯を終えた。発表された詩編の数倍の未定稿が残され,まだ完全な形では刊行されていない。エミネスクの詩はヨーロッパ・ロマン主義,ドイツ哲学,ルーマニア民謡などのうえに開花した芸術で,世に入れられない孤高の天才の悲劇をヒュペーリオン神話の形で美しい韻律の中に結晶させた《金星》(1883),未完の思想詩の一部《メメント・モリ》,民謡と響きあう甘美な恋愛抒情詩《青い花》(1873),風刺詩《第一書簡》(1881)など,全作品がルーマニア詩の頂点と考えられている。ほかに数編の幻想小説もある。
執筆者:直野 敦
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ルーマニアの国民詩人。青年時代、ウィーン、ベルリンに留学し、帰国後種々の職業について貧窮に耐えながら、『皇帝とプロレタリア』(1871)、『第三書簡』『カリン』『グロサ』『金星』(1883)などの詩を発表。彼の詩には、民謡の影響、故郷モルドバの美しい自然への賛歌、東洋的な虚無感、きびしい社会批判などさまざまな傾向が混在しているが、ルーマニア語の美しさを最高度に駆使したその詩形式の完璧(かんぺき)さによって、古典としての生命を保っている。未完の小説『哀れなディオニソス』(1872)、『不毛の天才』、創作民話『涙から生まれた王子』などの作品もある。失恋の痛手、肉体的、精神的疲労から1883年に精神異常となり、6年後に孤独の生涯を終えた。
[直野 敦]
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… 19世紀の民族解放運動の時期には文学の近代化も促進されるが,その中で決定的な役割を果たしたのは,1848‐49年の革命に参加したロマン派の文学世代,言語学者・詩人のエリアーデ・ラドゥレスク,詩人アレクサンドリ,小説家ネグルッジCostache Negruzzi(1808‐68),歴史家コガルニチャーヌ,バルチェスクらであり,これ以後,西欧文学の影響が強まる中で,近代文学が確立されていった。ロマン派の最後の代表者で,ルーマニア詩の最高峰を築いたエミネスクは,今日まで最大の国民詩人としての地位を保っている。リアリズム小説はフィリモンNicolae Filimon(1819‐65),ザンフィレスクDuiliu Zamfirescu(1858‐1922),スラビチIoan Slavici(1848‐1925),オドベスクAlexandru Odobescu(1834‐95)らの創作を通じて高い水準に達した。…
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