エロシェンコ(その他表記)Vasilii Yakovlevich Eroshenko

デジタル大辞泉 「エロシェンコ」の意味・読み・例文・類語

エロシェンコ(Vasiliy Yakovlevich Eroshenko)

[1889~1952]ロシアの盲目の詩人童話作家。大正3年(1914)に来日して数年間滞在。その間、日本語エスペラントで童話などを発表した。作「夜明け前の歌」「人類のために」など。

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精選版 日本国語大辞典 「エロシェンコ」の意味・読み・例文・類語

エロシェンコ

  1. ( Vasilij Jakovljevič Jerošjenko ワシリー=ヤコブリエビチ━ ) ロシアの詩人。東京盲学校に留学、滞日中に日本語で童話を発表。のち北京大学教授。代表作「夜明け前の歌」「人類のために」。(一八八九‐一九五二

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改訂新版 世界大百科事典 「エロシェンコ」の意味・わかりやすい解説

エロシェンコ
Vasilii Yakovlevich Eroshenko
生没年:1889-1952

ソ連邦の詩人,児童文学者。おもに日本語,エスペラント語著作を残した。クルスク県(現,ロシア共和国ベルゴロド州)オブホフカ村生れ。4歳のとき,はしかのため盲目となる。モスクワ盲学校に学んだ後,モスクワのレストランの盲人オーケストラで働いたが,エスペラントを学び,その縁でロンドン王立盲人音楽師範学校に入る。1914年,日本エスペラント協会の中村精男(中央気象台長)をたよって来日,東京盲学校特別研究生となり,また日本の盲人の生活を知るためにあんま術を学ぶ。秋田雨雀,大杉栄,中村彝(つね),竹久夢二,小坂狷二,相馬黒光神近市子,片上伸らと交友,日本語による口述筆記で作品を発表した(処女作《提灯の話》1916)。16年,来日していたインドの詩人タゴールに会い,本能的な放浪者であったエロシェンコは東洋の他の弱小民族の生活を知るためにタイ,ビルマ(現ミャンマー),インドに旅立つ。19年再来日,早大聴講生となり,第2次《種蒔く人》の同人となり,次々と童話を発表した。思想的に危険な人物として日本から21年に追放され,中国に行き,魯迅らの知遇を得て北京大学でロシア文学についての講義をした。23年祖国に帰り,極東勤労者共産主義大学(クートベ)の日本語通訳,マルクス主義文献の日本語訳などの仕事に従事した。大正期の日本児童文学にすくなからぬ影響を与えた作家として,本国よりは日本での評価の方が高い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エロシェンコ」の意味・わかりやすい解説

エロシェンコ
えろしぇんこ
Василий Яковлевич Ерошенко/Vasiliy Yakovlevich Eroshenko
(1889―1952)

ロシアの盲目詩人。モスクワの盲人学校に学び、エスペラントを習得、のちロンドンに学んだ。1914年(大正3)東京にきて、日本語とエスペラントで民話、童話を発表、大杉栄(さかえ)、神近(かみちか)市子、中村彝(つね)らと親交を結んだ。19年、ソ連のスパイの嫌疑でウラジオストクに送還され、その後、北京(ペキン)に至り、魯迅(ろじん/ルーシュン)と交友を結び、その小説『あひるの喜劇』のモデルとなった。23年ソ連に帰国。エスペラントの自伝『わが学校生活の一ページ』(1923)、『孤独な魂のうめき』(1923)、日本語の短編小説『提灯(ちょうちん)物語』その他、多くの詩、短編などがある。それらのなかには、放浪の盲目詩人の孤独と哀愁を込めたものが多い。

[草鹿外吉]

『高杉一郎編『エロシェンコ全集』全3巻(1959・みすず書房)』『高杉一郎著『盲目の詩人エロシェンコ』(1956・新潮社)』

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百科事典マイペディア 「エロシェンコ」の意味・わかりやすい解説

エロシェンコ

ロシアの作家。4歳で失明。1914年来日して,日本語とエスペラントで童話,詩などを発表。思想的に危険な人物として日本追放後は北京で魯迅と親交を結び,1923年帰国。作品集に《最後の溜息》《人類のために》など。
→関連項目クルスク相馬黒光中村彝

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エロシェンコ」の意味・わかりやすい解説

エロシェンコ
Eroshenko, Vasilii Yakovlevich

[生]1890.1.12. ベルゴロド,オブホフカ
[没]1952.12.23. ベルゴロド,オブホフカ
ソ連の作家。日本語とエスペラント語で著作。若くして失明。エスペラント語を修得しロンドンへ留学。 1914年来日し日本語を修得し,のちにウラジオストクから北京へ渡り魯迅と交友。 23年祖国に戻り,著作,翻訳を行なった。エスペラント語の作品に自伝的な『孤独な魂の呻き』 (1923) ,短編『虹の国』,日本語の童話に『ちょうちんの話』『魚の悲しみ』『鷲の心』『春の夜の夢』などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「エロシェンコ」の解説

エロシェンコ Eroshenko, Vasily Yakovlyevich

1890-1952 ロシアの詩人,児童文学作家。
1890年1月12日生まれ。4歳で失明。大正3年(1914)東京盲学校特別研究生として来日し,神近市子,相馬黒光(こっこう),中村彝(つね)らを知る。日本語の口述筆記による童話などで文壇に登場。第2次「種蒔く人」同人。10年危険人物として国外追放となった。1952年12月23日死去。62歳。ウクライナ出身。著作に「夜明け前の歌」など。

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