ソ連邦の詩人,児童文学者。おもに日本語,エスペラント語で著作を残した。クルスク県(現,ロシア共和国ベルゴロド州)オブホフカ村生れ。4歳のとき,はしかのため盲目となる。モスクワ盲学校に学んだ後,モスクワのレストランの盲人オーケストラで働いたが,エスペラントを学び,その縁でロンドン王立盲人音楽師範学校に入る。1914年,日本エスペラント協会の中村精男(中央気象台長)をたよって来日,東京盲学校特別研究生となり,また日本の盲人の生活を知るためにあんま術を学ぶ。秋田雨雀,大杉栄,中村彝(つね),竹久夢二,小坂狷二,相馬黒光,神近市子,片上伸らと交友,日本語による口述筆記で作品を発表した(処女作《提灯の話》1916)。16年,来日していたインドの詩人タゴールに会い,本能的な放浪者であったエロシェンコは東洋の他の弱小民族の生活を知るためにタイ,ビルマ(現ミャンマー),インドに旅立つ。19年再来日,早大聴講生となり,第2次《種蒔く人》の同人となり,次々と童話を発表した。思想的に危険な人物として日本から21年に追放され,中国に行き,魯迅らの知遇を得て北京大学でロシア文学についての講義をした。23年祖国に帰り,極東勤労者共産主義大学(クートベ)の日本語通訳,マルクス主義文献の日本語訳などの仕事に従事した。大正期の日本児童文学にすくなからぬ影響を与えた作家として,本国よりは日本での評価の方が高い。
執筆者:川端 香男里
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ロシアの盲目詩人。モスクワの盲人学校に学び、エスペラントを習得、のちロンドンに学んだ。1914年(大正3)東京にきて、日本語とエスペラントで民話、童話を発表、大杉栄(さかえ)、神近(かみちか)市子、中村彝(つね)らと親交を結んだ。19年、ソ連のスパイの嫌疑でウラジオストクに送還され、その後、北京(ペキン)に至り、魯迅(ろじん/ルーシュン)と交友を結び、その小説『あひるの喜劇』のモデルとなった。23年ソ連に帰国。エスペラントの自伝『わが学校生活の一ページ』(1923)、『孤独な魂のうめき』(1923)、日本語の短編小説『提灯(ちょうちん)物語』その他、多くの詩、短編などがある。それらのなかには、放浪の盲目詩人の孤独と哀愁を込めたものが多い。
[草鹿外吉]
『高杉一郎編『エロシェンコ全集』全3巻(1959・みすず書房)』▽『高杉一郎著『盲目の詩人エロシェンコ』(1956・新潮社)』
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