ウラジオストク(読み)うらじおすとく(英語表記)Владивосток/Vladivostok

共同通信ニュース用語解説 「ウラジオストク」の解説

ウラジオストク

ロシア極東沿海地方にある、日本海に面した港町。中国や北朝鮮の近くに位置し、冬でも大型船が運航できる数少ない不凍港で、太平洋艦隊司令部が置かれる軍事的要衝となった。ロシア革命前には5千人超の日本人が住んでいたとされるが、ソ連時代は外国人の立ち入りを厳しく規制した。1992年に対外開放され、日本からの中古車輸入など貿易拠点として成長した。プーチン政権は2018年、極東連邦管区の拠点都市をウラジオストクに移し、開発に力を注いでいる。(共同)

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精選版 日本国語大辞典 「ウラジオストク」の意味・読み・例文・類語

ウラジオストク

  1. ( Vladivostok 元来「東方の支配」の意 ) ロシア連邦、極東南東部の日本海に面した都市。一八五八年、清朝からロシアに譲渡。沿海州地方第一の貿易港であるが、冬季氷結する。シベリア鉄道終点浦塩斯徳

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウラジオストク」の意味・わかりやすい解説

ウラジオストク
うらじおすとく
Владивосток/Vladivostok

ロシア連邦東部、沿海地方の行政中心都市。人口61万3100(1999)、59万8927(2012推計)で「ソ連極東」とよばれていた地域の第二の大都市。シベリア鉄道幹線の終点で、太平洋岸におけるロシアの重要港。ピョートル大帝湾に北から突出するムラビヨフ・アムールスキー半島の南端にあり、半島の先端に深く湾入する「金角湾」沿岸の丘陵地とそれに続く同半島の西海岸(アムール湾の東岸)に位置する。シベリア鉄道と太平洋諸航路との連絡地で、北極海航路の東方の終点であり、空港がある。港は冬には結氷するが、砕氷船の援助で厳冬にも使用でき、ロシア海軍の太平洋艦隊および空軍の重要な基地がある。漁業やカニ漁の船団根拠地ともなっている。機械製造(造船、船舶修理、漁業・鉱山用機械、コンベヤー装置、ポンプ、電機)、建設資材(鉄筋コンクリート構造物、組立式建築大型パネル)、食料品(魚類と精肉の両コンビナート、乳業、菓子)などの工業がある。

 国立極東総合大学、単科諸大学(極東工業、漁業食品工業、芸術教育、医科、商科、海運技師)、科学アカデミーの極東支部、太平洋漁業海洋学研究所、地理学会沿海地方支部、郷土博物館、文化会館、劇場、テレビジョン放送局などがあって、学術研究、教育、文化の中心地でもある。ムラビヨフ半島の西海岸は極東の大保養地で、多数の憩いの家やサナトリウム、臨海公園、海水浴場などがある。新潟、秋田、函館(はこだて)各市と姉妹都市となっている。長く軍港として外国人立入り禁止となっていたが、1992年1月1日開放され、現在は新潟との間に定期航空路が通じている。1996年4月には極東大学内に「日本センター」が開設された。

[三上正利・外川継男]

歴史

1860年に建設され、1871年にニコラエフスク・ナ・アムーレからシベリア艦隊の基地がこの地に移された。1879年オデッサ(現、オデーサ)およびペテルブルグとの間に定期航路が開かれた。1888年には沿海州(現沿海地方)の州都となる。1897年ハバロフスクとの間に鉄道(ウスリー線)が通じ、1903年からは直接モスクワとシベリア横断鉄道で結ばれるようになった。ロシア革命(1917)の直後、一時ソビエト権力が成立したが、1918年4月、日本とイギリス軍が上陸、進攻し、8月にはアメリカ軍も加わった。市の権力はめまぐるしく変わった。当初チェコ軍団の反乱の最中(1918年6月)に反ボリシェビキの臨時シベリア政府が成立し、ついでコルチャーク軍が市を支配した。だが1920年1月には市民の蜂起(ほうき)が成功し、ボリシェビキを中心とする体制が成立した。これは4月、日本軍により鎮圧されたが、秋には日本軍も撤退を余儀なくされ、市は親ボリシェビキ的な極東共和国軍の手に帰した。1921年5月、ふたたび干渉軍による反革命が成功するが、翌1922年10月には再度、極東共和国軍により奪回され、11月、最終的にソビエト政権の下に入った。1991年ソビエト政権は解体された。

[外川継男・栗生沢猛夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「ウラジオストク」の意味・わかりやすい解説

ウラジオストク
Vladivostok

ロシア連邦南東端,沿海州の州都。人口58万6829(2004)。日本海に面し,ムラビヨフ・アムールスキー半島の南端,金角湾の沿岸に発展した太平洋方面における同国屈指の港湾都市。〈東方(ウォストーク)を征服せよ(ウラジ)〉というロシア語に由来する。中国名は海参崴。日本ではしばしば〈浦潮〉〈浦塩〉と呼ばれてきた。1860年にロシアの海軍基地として開かれ,19世紀末~20世紀初頭のロシア極東政策の活発化にともない,経済的にも軍事的にも重要性をました。1903年のシベリア鉄道の開通によりロシアの中心部と陸路で直結され,同鉄道の終点として国際的意義が高まった。革命運動の歴史でも,05-07年の第1次ロシア革命期にたび重なる軍隊反乱が起こり,17年の十月革命に際していち早くソビエト政権を樹立するなど,シベリア・極東の情勢に大きな影響を及ぼした。また19世紀末に東洋学院が開校され,文化的中心でもあった。

 日本との関係は密接で,明治初年から日本人の在住が知られており,1876年には日本政府の貿易事務館が置かれた。80年代以後,長崎とのあいだの定期航路の開設にともない,日本人居留民の数は増加し,20世紀初頭には約3000人を数えた。日露戦争の勃発でそのほとんどは引き揚げたが,戦後まもなく復帰した。貿易事務館は,1907年に領事館,さらに09年に総領事館に昇格した。また十月革命直後から22年まで邦字新聞《浦潮日報》が刊行された。かつては,また中国人と朝鮮人の居留民も多く,1910年の〈日韓併合〉以後は朝鮮独立運動の一大拠点でもあった。その戦略的重要性ゆえに,十月革命後の内戦期には反革命と外国干渉軍の拠点となった。日本軍は18年4月に陸戦隊を上陸させ,同年8月の本格的軍事干渉の開始(いわゆる〈シベリア出兵〉)から22年10月の撤兵まで,ここに〈浦潮派遣軍司令部〉を置き,20年までは連合国と共同で,以後は単独で市を占領した。その間,20年4月に〈革命軍武装解除戦〉と呼ばれる作戦行動により,ロシアの革命派指導部と朝鮮独立運動とに大弾圧を加えたこともある。日本軍の撤退とともに極東共和国人民革命軍によって解放された。日本軍の撤退までに日本人居留民もほとんど引き揚げた。その後,25年の日ソ基本条約締結にともない,同年に日本の総領事館が開かれた。

 港は11月から3月まで結氷するが,砕氷船の使用で冬季も使用可能である。今日,貨物取扱量ではナホトカに次ぐとはいえ,ロシア太平洋艦隊の基地,商港,漁港として重要な位置を占める。造船,水産加工をはじめとする工業の中心でもある。また科学アカデミー・シベリア支部極東科学センターと各種研究所,東洋学院の後身である大学をはじめ,多くの学術・教育機関が置かれている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウラジオストク」の意味・わかりやすい解説

ウラジオストク
Vladivostok

ロシア南東部,プリモルスキー地方の行政中心地。ロシア極東部最大の港湾都市で,シベリア横断鉄道,北洋航路の終点。日本海西部にあるピョートル大帝湾の湾奥中央部に突出したムラビヨフアムールスキー半島の南端に位置する。市街はゾロトイログ (金角) 湾にのぞむ半島南岸から,アムール湾に面する西岸にかけて広がり,半島のすぐ南にあるルスキー島が港を外洋から守っている。 1860年軍事哨所が設けられたことに始り,72年港の建設が開始され,沿海州の行政中心地がニコラエフスクナアムーレからここに移された。 90年代末シベリア鉄道が通じ,貿易港として発展しはじめた。ロシア極東艦隊の主要基地として知られている。また極東の重要な漁港で,カニ工船,海獣捕獲船,サケ・マス漁業などの漁船の根拠地となっており,大規模な冷凍設備がある。外国貿易港としての機能は東のナホトカ港に移されたが,内国海運においては大中心地で,サハリン島,千島,カムチャツカ半島,マガダン各方面への旅客,貨物の輸送拠点である。ハバロフスクと並ぶロシア極東部の大工業中心地でもあり,食品工業 (水産加工,食肉,製粉) をはじめとして,船舶修理,製材,木材加工 (合板,家具) ,建設資材,鉱山用機械・設備などの工業が発達している。また極東の文化中心地として,科学アカデミー極東支部,海洋,漁業,交通,森林などの研究所,極東大学 (1920) をはじめ,交通,水産,医学,工業などの大学,博物館,交響楽団などがある。市域とその周辺は景観がすぐれ,世界で最も美しい港の一つといわれ,近郊に多くのサナトリウムや「休息の家」が設置されている。人口 59万2069(2010)。

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百科事典マイペディア 「ウラジオストク」の意味・わかりやすい解説

ウラジオストク

ロシア南東端,沿海州南部の都市。ロシア語で〈東方を征服せよ〉の意。ピョートル大帝湾に面する良港で,シベリア鉄道の終点。海軍・漁業の基地。気候は比較的温暖で,港は冬季も砕氷船で使用可能。造船,水産加工などが行われる。新潟市の姉妹都市。1860年創設。1903年のシベリア鉄道開通により,その終着点として重要な役割を果たすようになり,またシベリア,極東の革命運動,文化の中心となった。1880年に長崎との定期航路が開かれて以来,総領事館設置,1920年―1922年の日本軍による占領など,日本との関係は密接。第2次大戦後,長らくロシア海軍の閉鎖軍港であったが,1992年対外的に全面開放し,1993年には日本総領事館もナホトカから移された。中国の延吉から北朝鮮の清津にわたる大規模自由経済プロジェクト〈豆満(図們)江開発計画〉のロシアにおける拠点。57万8416人(2009)。
→関連項目沿海州ナホトカロシア

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ウラジオストク」の解説

ウラジオストク

日本海に面したロシア連邦沿海州最大の港湾都市。東方を支配せよという意味。漢字表記は浦塩斯徳。1860年北京条約で沿海州全体とともに清国から獲得,海軍基地を設置。90年代シベリア鉄道の起点になると,ロシアの極東進出の拠点,貿易の中心地となる。1918年(大正7)シベリア出兵時には日本の派遣軍総司令部がおかれ,22年の撤兵まで占領した。ソ連時代,太平洋艦隊の司令部として長く閉鎖都市とされたが,1992年外国人にも開放された。

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世界大百科事典(旧版)内のウラジオストクの言及

【沿海州】より

…面積16万5900km2,人口228万(1990)。州都ウラジオストク。1860年の清国との北京条約によって,ロシア帝国の領土となった。…

【国際電報】より

…国際通信上,最も基本的なサービスである。日本でも1871年(明治4)にデンマークのグレート・ノーザン電信会社が,長崎~上海間,長崎~ウラジオストク間に海底電信線を敷設したときから取り扱われている(無線では,1915年の落石無線局とペトロパブロフスク無線局間が最初)。現在,日本と世界の主要対地との間には通信衛星海底ケーブル等による電報用回線があり,世界中のどことでも国際電報の送受ができる。…

※「ウラジオストク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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