コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

相馬黒光 ソウマコッコウ

6件 の用語解説(相馬黒光の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

そうま‐こっこう〔サウまコククワウ〕【相馬黒光】

[1876~1955]随筆家。宮城の生まれ。明治女学校卒。旧姓は星。本名、良(りょう)。夫、相馬愛蔵とともに新宿中村屋を創業。荻原守衛中村彝(つね)らの芸術家を援助した。著作に「黙移」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

相馬黒光【そうまこっこう】

仙台生れ。本名は良。芸術家を後援したことで知られる。明治女学校を出て相馬愛蔵と結婚するが,1901年夫とともに上京,パン屋中村屋を開業した。新宿への移転に伴い,アトリエを設けてサロンを主宰し,彫刻家の荻原守衛,画家の中村彝(つね),ロシア人の詩人エロシェンコらのパトロンとなった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

相馬黒光 そうま-こっこう

1876-1955 明治-昭和時代の実業家,随筆家。
明治9年9月12日生まれ。相馬愛蔵と結婚,新宿中村屋を創業。店を文化人のサロンに開放。荻原守衛(おぎわら-もりえ),中村彝(つね),エロシェンコ,ビハリ=ボースらがあつまった。昭和30年3月2日死去。78歳。宮城県出身。明治女学校卒。旧姓は星。本名は良(りょう)。著作に「黙移」「広瀬川の畔(ほとり)」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

そうまこっこう【相馬黒光】

1876‐1955(明治9‐昭和30)
芸術家を後援した商人で,自身文筆もよくした。本名良。仙台に生まれ,押川方義の影響でキリスト教徒となる。明治女学校を出て長野県の企業家で社会改良運動家相馬愛蔵と結婚するが,婚家の気風になじまず,1901年夫とともに東京に出,本郷にパン屋中村屋を開業した。はじめは苦労を重ねたが,店を新宿に移してからは東京の西郊への発展も幸いして事業はしだいに軌道に乗り,山手のインテリ層を中心に顧客をひろめた。彫刻家荻原守衛,肖像画家中村彝(つね),ロシア人の詩人エロシェンコらのパトロンとなり,また15年インド独立運動家R.B.ボースを中村屋内にかくまい,長女を嫁がせた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

そうまこっこう【相馬黒光】

1876~1955) 随筆家。宮城県生まれ。旧姓、星。本名、良りよう。相馬愛蔵と結婚、中村屋を創業。サロンを開き荻原守衛・中村彝つねらを援助、エロシェンコやビハリ=ボースを保護した。著「黙移」

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

相馬黒光
そうまこっこう
(1876―1955)

随筆家。宮城県の士族の家に生まれる。旧姓星、本名良(りょう)。文学を志し、宮城女学校、明治女学校に学んで、「アンビシャス・ガール」(大志を抱いている女性)とよばれた。相馬愛蔵と結婚して、新宿中村屋を創業。商売を繁盛に導く一方で、店を芸術家のサロンに開放して、荻原守衛(おぎわらもりえ)(碌山(ろくざん))、中村彝(つね)、エロシェンコらを援助した。半自叙伝『黙移(もくい)』(1934)は、明治女学校や『文学界』同人たちの動静をよく伝えて、文学史、女性史の貴重な資料。『明治初期の三女性』(1940)は、岸田湘煙(しょうえん)(俊子(としこ))ら先進女性たちへの心尽くしの評伝である。[江刺昭子]
『『黙移』(1982・法政大学出版局) ▽宇津恭子著『才藻より、より深き魂に――相馬黒光・若き日の遍歴』(1983・日本YMCA同盟出版部) ▽島本久恵著『俚譜薔薇来歌』(1983・筑摩書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の相馬黒光の言及

【エロシェンコ】より

…1914年,日本エスペラント協会の中村精男(中央気象台長)をたよって来日,東京盲学校特別研究生となり,また日本の盲人の生活を知るためにあんま術を学ぶ。秋田雨雀,大杉栄,中村彝(つね),竹久夢二,小坂狷二,相馬黒光,神近市子,片上伸らと交友,日本語による口述筆記で作品を発表した(処女作《提灯の話》1916)。16年,来日していたインドの詩人タゴールに会い,本能的な放浪者であったエロシェンコは東洋の他の弱小民族の生活を知るためにタイ,ビルマ(現ミャンマー),インドに旅立つ。…

【荻原守衛】より

…文展や太平洋画会展に発表した生命感あふれる新鮮な造形は,工部美術学校以来の外形描写を主とする彫刻界に大きな刺激を与え,戸張孤雁,中原悌二郎中村彝(つね),堀進二ら多くの新進美術家に強い影響を及ぼし,とくに戸張と中原は絵画から彫刻に転じた。荻原を中心に集まった青年美術家たちによって〈中村屋グループ〉が形成されたが,荻原は相馬黒光との恋愛問題に悩んだ。第3回文展の《北条虎吉像》は3等賞となり,大いに注目されたが,帰国の2年後に急死した。…

※「相馬黒光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

相馬黒光の関連キーワードパトロン芸術家・藝術家後援会勾張り強くして家を倒すAAAL芸術家善くした物小豆島芸術家村事業前田陳爾三井高蔭

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

相馬黒光の関連情報