イギリスの劇作家。ロンドンに生まれる。大学中退後、業界新聞に勤めるかたわら詩や短編小説を書いていたが、19歳ごろから劇界に入り、俳優として舞台にも立った。クライトンとの合作『ジョージ・ディロンの墓碑銘』など二、三の劇作ののち、新人発掘に熱意のあったイギリス舞台協会に送った『怒りをこめてふり返れ』(1956)の大成功で、彼自身新進劇作家の先頭にたつとともに、現代イギリス演劇興隆にきっかけを与えることになった。ローレンス・オリビエが依頼し、かつ主演した次作の『寄席(よせ)芸人』(1957)は、舞台にしたミュージック・ホールを通して過去のイギリスの栄光への郷愁が色濃くにじみ出ている。
ついでミュージカル仕立ての『ポール・スリッキーの世界』(1959)、ブレヒト風の叙事演劇『ルター』(1961)、カフカの不条理劇を思わせる『認められぬ証言』(1964)、ジェームズ朝悲劇に似た翻案物『支払われた負債』(1966)、写実的な風俗劇『アムステルダムのホテル』(1968)など、ほとんど一作ごとに変化する作風で執筆している。彼のいちばんの長所は、初期の作品に多くみられる、ほとんど一人芝居といってもよい主人公の台詞(せりふ)のエネルギーにあるように思われる。その後も戯曲を発表し続けていたが、あまり評判になることはなかった。
[中野里皓史]
『小田島雄志著『ジョン・オズボーン』(1970・研究社出版)』
アメリカの古生物学者。コネティカット州の生まれ。1891年ニューヨークのアメリカ自然史博物館の標本管理者、1896年にはコロンビア大学動物学教授に就任した。1902年にはワシントン州のカーネギー研究所古生物学および動物学委員会の委員長に、1906年にはスミソニアン研究所の事務局長に選出された。ニューヨークの自然史博物館から、アフリカ、中国、モンゴルなどの各地に探検隊を派遣し、膨大な化石標本を収集した。哺乳(ほにゅう)動物化石および石器について優れた研究を行い、『哺乳類時代』(1910)や『旧石器時代の人類』(1915)などの古典的労作を残した。とくに長鼻類の一連の研究(1934~1942年刊行)は今日もなお重要な文献となっている。コープの定向進化説を継承し、脊椎(せきつい)動物の進化を説き、適応放散の法則を具体的に裏づけた。
[大森昌衛]
アメリカの獄制改革者。ニューヨーク州オーバーンの農機具商の家に生まれ、ハーバード大学に学んだ。大学卒業後、オーバーン市の新聞を発行したり、同市の市長を務めるなど、社会的、政治的に活躍した。1913年ニューヨーク州刑務所改良委員会の委員長となって以来、獄制改革運動に身を投じた。刑務所は犯罪者を罰する所ではなく、責任感を養う自主的教育の場であり、社会に復帰させることが目的でなければならないとして、自ら志願囚としてオーバーン刑務所に入り、その体験を生かして刑務所内に囚人による善行組合Mutual Welfare Leagueをつくった。1914年1月にはオーバーン刑務所で、同年11月にはシンシン刑務所で、のち1917年ポーツマス連邦刑務所所長になってからは同刑務所で、囚人自治制を試みるなど、受刑者の規律的生活のあり方に一つの指針を与え、彼の思想はしだいに各国に取り入れられるようになった。
[須々木主一]
イギリスの劇作家。ジャーナリスト,俳優を経て,《怒りをこめてふり返れ》(1956)によって劇壇に登場。イングリッシュ・ステージ・カンパニーによって上演されたこの劇は,既成秩序や旧来の価値観に容赦のない批判を浴びせる青年ジミー・ポーターを主人公にし,常識的には不道徳と考えられる男女関係を扱った。この劇は激しい非難と共感の両方を呼びおこし,従来の上品な客間喜劇とは異なるリアリスティックな劇の相次ぐ発表をうながす一方,反体制的な青年を指す〈アングリー・ヤング・メン〉の言葉を生んだ。その後の戯曲にはL.オリビエが主演した《寄席芸人》(1957),《ルター》(1961),《認めえぬ証言》(1964),《アムステルダムのホテル》(1968)などがあり,できばえにむらはあるが,既成の価値観に疑問を呈する姿勢は一貫している。作品の多くを演出したT.リチャードソンとともに,1958年映画プロダクションを設立,自作の映画化のほかに《トム・ジョーンズ》(1963)のシナリオを執筆した。
執筆者:喜志 哲雄
アメリカの古生物学者。コネティカット州フェアフィールドの生れ。プリンストン大学を出て,ヨーロッパに学び,T.H.ハクスリーに師事し,C.ダーウィンにも会って影響をうけた。プリンストン大学,ついでコロンビア大学の教授となり,1908年以降アメリカ自然史博物館長を兼任した。北アメリカ西部のほか,アフリカ,中国,モンゴルなどの探検を組織し,多くの脊椎動物化石を発掘し,収集した。彼はおもに哺乳類と爬虫類の化石を研究し,進化についても深い関心をもち,適応放散など重要な概念を提出している。とくに《長鼻類Proboscidea》(1936-42)では,多数の象化石を記載・分類し,その進化をまとめた。
執筆者:清水 大吉郎
アメリカの監獄改良家。ニューヨーク州オーバーン市の旧家に生まれ,ハーバード大学を卒業し,家業を継いで農業機械製造会社の社長として活動した。1904年オーバーン市長に選ばれ,10年州上院議員となり地方政界でも活躍したが,13年州監獄改良委員会の長をつとめていた際,志願囚としてオーバーン刑務所で1週間を過ごし,以後,監獄改良のために一生をささげた。彼は囚人自治制を推奨し実践したが,これには賛否の議論が渦巻き,14年シン・シン刑務所長に就任したものの,1年で職を退き,あとはおおむね野にあって〈休みなき闘い〉(彼の伝記の表題)を続けた。主著《監獄と社会》。
執筆者:松尾 浩也
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…同一の起源をもつ生物の分類群が地球上の種々の異なった環境に適応する過程で,食性や生活様式に応じて著しい形態的分化を起こす現象をいう。1917年にH.F.オズボーンがティタノテリウムTitanotheriumの研究を通して認めたのに始まるが,地質時代を通じて種々のレベルの分類群にしばしば見られる現象で,進化学上の有効な概念となっている。オーストラリア大陸では未熟の状態で生まれる子を育児囊で保育する有袋類が適応放散し,フクロネズミ,フクロモグラ,フクロモモンガ,フクロアリクイ,コアラ,カンガルー,フクロオオカミなどが,あたかも旧大陸で有胎盤哺乳類が得たと同様のさまざまの生態的地位を獲得した。…
…イギリスの劇作家ジョン・オズボーンの戯曲《怒りをこめてふり返れ》(1956)から生まれた言葉で,既成秩序に不満をもち,旧来の価値観を受け入れようとしない反体制的な青年を指す。〈怒れる若者たち〉と訳される。…
※「オズボーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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