メキシコの画家。リベラ、シケイロス、タマヨと並ぶメキシコ画壇四大巨匠の一人で、フレスコ壁画の運動と実作に活躍した。11月23日ハリスコ州の小村に生まれる。メキシコ市の農学校を卒業し、大学で数学、建築を学んだが、志を変えてサン・カルロス美術学校で絵を学び、在学中の1913年に歴史画『サン・ファン・デ・ウルア』の大作を描き、注目された。当時のメキシコでは民主革命の潮流がしだいに高まっており、彼も新聞に大統領批判の風刺画などを描いていたが、内乱が激化したのでアメリカに一時逃れ、帰国後はリベラやシケイロスとともに美術家組合をつくった(1923)。民族再興運動と大衆のための絵画を目ざし、大衆ならだれでも鑑賞できるフレスコ壁画に取り組み、メキシコ市のプレパラトリア(国立高校)や最高裁判所に大作を残した。また、メキシコ市スタジアムのフレスコも有名である。いずれも、メキシコのナショナリズムの思想のインディヘニスモ(インディオ文化復興主義)をうたったもので、メキシコ革命に大いに貢献した。1949年9月7日メキシコ市で没した。画風はどす黒い強烈さをもち、革命戦線の悲劇的光景をテーマとしたものが多く、「メキシコのゴヤ」とよばれた。ただし、20世紀の画家だけに、人物も構図もゴヤの写実的作品に比べて大胆な抽象性をもつ。油絵では『ビア将軍』『サパタ党員』などが代表的である。
[深作光貞]
メキシコの画家。リベラ,シケイロスと並ぶ壁画の巨匠の一人。農業経済を学んだ後,1908年から国立美術学校で学ぶ。メキシコ革命中は《バンガルディア》紙に挿絵を描いた。23年国立高等学校で初の壁画を完成させ,以後タイルの家,オリサバ労働者教育センターの壁画等を制作。27年アメリカ合衆国に渡り34年まで滞在した。36年からグアダラハラで制作するが,このころから革命後の社会のあり方に批判的になり,不幸なメキシコ人民の姿を黒白の限定された色調で描く。40年にメキシコ市に帰り,以後宗教を主題にした連作で,革命を堕落させてゆく人間の弱さと,宗教の現在的意義についての考察を深めた。作風は表現主義的で形式ばってはいても,装飾的ではない。彼の作品はまず自己表現の場であり,大衆に語りかけるという姿勢は少なかった。
執筆者:加藤 薫
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…メキシコ革命(1911)後の新時代にふさわしい美術を創造し,革命の意義を壁画に描き,広く長く大衆の間に伝えようと考えたシケイロスやリベラやオロスコを中心にメキシコで興った美術運動el movimiento muralismo。メキシコ革命を記念する壁画構想はすでに1910年代からあったが,その実現は22年,時の文部大臣J.バスコンセロスによって国立高等学校の壁面が提供されたときに始まる。…
※「オロスコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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