百科事典マイペディア 「カサブランカ会談」の意味・わかりやすい解説
カサブランカ会談【カサブランカかいだん】
→関連項目カサブランカ
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…しかしソ連が参戦直後から要求していた連合国側による大陸での対ドイツ戦線(第二戦線)の問題をめぐり,フランスに上陸すべきとするアメリカと北アフリカにまず上陸すべきとするイギリスとの間で戦略上の対立が起こり,結局,イギリスの主張がとおり北アフリカに上陸作戦が展開された。そして43年1月スターリンは戦局の進展のため出席できなかったが,ローズベルト,チャーチルの会談がカサブランカで開かれシチリア侵攻とフランス上陸を話し合い,また枢軸国に〈無条件降伏〉を求めることが決定された(カサブランカ会談)。そして,この〈第二戦線〉問題は43年いっぱい話し合われることになった。…
※「カサブランカ会談」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新