コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

カシミール問題 かしみーるもんだい

知恵蔵の解説

カシミール問題

カシミール地方の領有をめぐるインドとパキスタンの争い。カシミールは伝統的な毛織物「カシミヤ織り」発祥の地。風光明媚な山岳地帯であり、「南アジアのスイス」とも呼ばれてきた。イスラム教徒が住民の多数を占めたが、藩王がヒンドゥー教徒だったため、1947年の印パ分離独立時に帰属が決まらず、宙に浮いた。独立から2カ月後、イスラム教徒による暴動が発生。藩王はインドへの帰属を表明し、暴動の鎮圧にインド軍派兵を要請した。これをきっかけに第1次印パ戦争が勃発した。49年に国連の調停で停戦が合意されたが、カシミールは停戦ラインをはさんで分断統治されることになった。65年の第2次印パ戦争、東パキスタンがバングラデシュとして独立した71年の第3次印パ戦争でも戦場になった。また、アフガニスタンから旧ソ連軍が撤退した89年以降、イスラム過激派の民兵がカシミールを新たな「聖戦」の舞台と位置づけ、パキスタン側からインド側に入ってくる「越境テロ」が激化し、緊張が増した。99年には印パ間のカルギル紛争が発生。2002年5月にも計100万人に及ぶ両国軍が対峙し、緊張が高まった。インド側はジャム・カシミール州、パキスタン側がアザド(自由)カシミール州。

(竹内幸史 朝日新聞記者 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

カシミール問題

1947年に英領から独立した印パ両国は、ヒンドゥー教徒の藩王が治めながらイスラム教徒が多数を占めていたカシミール地方の帰属をめぐり、領有権を主張して戦争に突入。49年に停戦ラインを挟み、同地方は分断された。インド側では89年以降、分離独立を求める武装闘争が激化。インド政府によると、死者は約4万人に上る。

(2012-10-03 朝日新聞 朝刊 2外報)

出典 朝日新聞掲載「キーワード」朝日新聞掲載「キーワード」について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カシミール問題
かしみーるもんだい

インド亜大陸の北西部に位置するカシミール地方の領有をめぐる印パ(インドとパキスタン)間の領土紛争。英領インド時代のカシミールは藩王国であり、藩王はヒンドゥー教徒で藩民の約5分の3がムスリム(イスラム教徒)であった。藩王と藩民の宗教上の食い違いが現代に至るカシミール問題の出発点となり、四度に及ぶ印パ戦争など、印パが対立する最大要因となっている。パキスタンは、英領インドのムスリム多住地域をもって建国され、ムスリム国家の理念を掲げる。だからこそ、パキスタンは、ムスリム多住地域のカシミールが自国領となるべきだと考え、インドにあることを容認できない。逆にインドは、総人口の約8割がヒンドゥー教徒であっても、カシミールが国内にあることで、国是ともいうべき政教分離主義を喧伝(けんでん)できるのである。
 1947年8月、英領インドが、インドとこれを東西両翼で挟む形でパキスタンに分割された際、カシミールではイギリスから帰属決定権を付与された藩王が最終的にインドを選択した。しかし、パキスタンはこれを認めず、カシミールへの進攻を図り、同年10月に第一次印パ戦争が勃発(ぼっぱつ)した。国際連合の調停により1949年1月に停戦が成立し、同年7月に印パ政府の協議により、カシミールを印パに分かつ停戦ラインが画定された。全カシミール(面積約22万平方キロメートルで日本の本州に相当)の半分弱をインド、36%をパキスタンがそれぞれ保有し、カシミールの一部であるアクサイチン(約17%)は1950年代に中国の管理下に入った。1965年9月の第二次印パ戦争を経て、1971年12月には第三次印パ戦争が発生した。バングラデシュ独立戦争ともいわれ、東パキスタンが西パキスタンからの独立を目ざして立ち上がると、インドが東パキスタンを軍事的に支援した。勝敗が判然としない過去2回の戦争とは異なり、第三次戦争ではインドが圧勝し、バングラデシュが誕生した。この戦争はおもにインド亜大陸東部で展開されたが、カシミールを含む西部でも戦闘が行われた。1972年7月には印パ両首脳が停戦のためのシムラー協定に合意したが、カシミール問題が主要な内容となっていた。同年12月に停戦ラインにかわる管理ラインが画定された。さらに1999年5月~7月には、カールギル(カシミール地方)で印パ戦争が起きた。第四次印パ戦争ともいわれる。印パ戦争とはカシミールをめぐる戦争である。
 インド側カシミールでは、1989年以降、インドからの分離運動が始まった。イスラム過激派はテロ活動を中心とする運動を展開し、2010年までに約5万人が犠牲になっているといわれる。当初は地元のムスリムが主体であったが、1990年代後半以降、州外のムスリム過激派が流入した。代表的な組織がラシュカル・エ・タイバ(純粋者の軍隊の意。略称LeT)である。LeTはパキスタンのCIAと称されるISI(三軍統合情報局)が背後で糸を引いているとも、タリバンやアルカイダと関係するともいわれる。LeTは2001年12月のインド国会議事堂襲撃事件、2002年5月にジャム・カシミール州の陸軍駐屯地に対するテロ攻撃事件、2008年11月、約170名が殺害されたムンバイ・テロ事件を起こすなど、活発な活動を展開している。インド政府は、これらの事件に対するISIなどの関与を指摘し、態度を硬化させてきたが、パキスタン政府はこれを否定している。カシミール問題は核問題とともに両国関係の改善を妨げる最大要因となっている。[堀本武功]
『堀本武功著「南アジアの地域紛争――1970年代以降のカシミール問題」(『南アジア研究』第5号所収・1993・日本南アジア学会) ▽S・P・コーエン著、堀本武功訳「インドとパキスタンはなぜ対立するのか」(『アメリカはなぜインドに注目するのか――台頭する大国インド』所収・2003・明石書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

カシミール問題の関連キーワードラル・キシャンチャンド アドバニインド・パキスタン2国間協定ムハメッド ザフルラ・ハーンアリー・カーンBRICSムシャラフナラヤン軍拡競争バジパイ

今日のキーワード

ムガベ大統領

1924年、英植民地の南ローデシア(現ジンバブエ)生まれ。解放闘争に参加し、80年にジンバブエを独立に導いた。同年から首相、87年から大統領として実権を握り続けた。2000年以降は白人農場主の農園を強...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

カシミール問題の関連情報