日本大百科全書(ニッポニカ) 「インド藩王国」の意味・わかりやすい解説
インド藩王国
いんどはんおうこく
イギリス東インド会社との条約およびインド副王(総督)の授権証書によって、外交、軍事の権能を接収され、かつその統制下で内政自主権を留保されたインドの諸土侯国。藩王国の起源は、ムガル帝国の州、マラータおよびラージプートの諸領邦、その他の局地的小土侯領のうち、東インド会社との同盟関係を結んだ諸国であり、インド政庁の制定法が施行されるイギリス領インドとは区別された。藩王国はイギリス国王(インド皇帝)の至上権のもとで、副王直轄の政務部に管理され、幣制、関税、鉄道建設などの面ではしだいに自主権を認められなくなった。藩王国の総数は約600、面積は独立前のインドの約45%、人口は約24%を占め、ハイデラバードやカシミールのような大国から一地方の地主所領規模のものまで実態は多様であった。政治史上では、19世紀後半には藩王主権と帝国至上権との関係がしばしば論議されたが、1921年に、藩王国出身兵からなる帝国勤務部隊のイギリスへの協力に対する報償として、また民族運動への対抗策として藩王会議が勅令で設置された。以後インド統治法改正や民族運動側の憲法構想のなかで、藩王国のインド連邦への参加の条件や形態が重要課題になった。しかし民族運動は藩王国内にも拡大し、藩王専制の打破を目ざす全インド藩王国人民会議が結成された。インド、パキスタンの独立(1947)とともに帝国至上権は消滅し、これらの藩王諸国は多少の曲折はあったが、解体され、独立国家に統合された。
[高畠 稔]