カルデリ(読み)かるでり(その他表記)Edvard Kardelj

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルデリ」の意味・わかりやすい解説

カルデリ
かるでり
Edvard Kardelj
(1910―1979)

ユーゴスラビア政治家、理論家。リュブリャナに労働者の子として生まれる。中等学校卒業後、師範学校入学を許可されたが、16歳で革命運動に身を投じ、非合法下のユーゴスラビア共産党入党。第二次世界大戦前から理論家として頭角を現し、チトーの側近としてパルチザン解放戦争を闘う。戦後ユーゴコミンフォルムから追放されたもっとも困難な時期に外相を務め、自主管理非同盟の社会主義建設に理論的、実践的に貢献した。国民から広範な支持を受け、体調を崩すまではチトーの後継者と目されていた。死去するまで、ユーゴスラビア社会主義連邦幹部会会員、同共産主義者同盟中央委員会幹部会員を務めた。

[柴 宜弘]

『カルデリ著、山崎洋・那美子訳『自主管理社会主義と非同盟』(1978・大月書店)』『カルデリ著、山崎洋訳『自主管理と民主主義』(1981・大月書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルデリ」の意味・わかりやすい解説

カルデリ
Kardelj, Edvard

[生]1910.1.27. リュブリャナ
[没]1979.2.10. リュブリャナ
ユーゴスラビアの政治家。共産主義者同盟中央委員会幹部会員。スロベニア人。 1928年共産党に入党,29年師範学校卒業。労働運動に参加し,30~32年入獄。 38年党政治局員。 41年チトーもとで対独抵抗運動の指導部に参加。 45~53年副首相,48~53年外相,53~60年勤労人民社会主義連合書記長,63~67年連邦議会議長。 70~74年連邦議会憲法委員会運営委員長。労働者自主管理や非同盟政策など,ユーゴの中心的理論家で,著書も多い。

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百科事典マイペディア 「カルデリ」の意味・わかりやすい解説

カルデリ

ユーゴスラビアの政治家。共産党員として非合法労働運動を指導して投獄され,のち亡命して第2次大戦中はチトーとともに抵抗運動を組織。戦後は副首相,外相,国連代表,連邦人民会議議長(1963年―1967年)を歴任

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